執着 弐



 と、対する御門がにたりと暗い笑みを口元に浮かべた。
 だが、目が笑っていない。
「まさか、この私が、星見の君に刃を向けるなど、天地がひっくり返ろうとありえませぬ」
 ましてや、星見の君の結界の中では、と、御門は呟いた。
 やはり御門は気づいていた。
 この茶室に、梅月に向けた刃は全て放った本人に打ち返される結界が張り巡らされていたことに。
「私もそこまで命知らずではございません」
「ならば…」
 追い討ちをかけようとする梅月の語尾をひったくり、御門が告げる。
「例え髪の一筋でも損なわれぬように星見の君を御守りするが我が使命」
 御門の表情が一変していた。
 もはや怒りも悲しみもないその表情に、梅月は内心冷やりとする。
 表には、一つも表さなかったが。
「ですが、星見の君を誑かす輩は、何人たりとも許しませぬ」
「これはしたり」
 梅月は眉をそびやかした。
 焦りを気取られぬように。
「この僕が、何者かに誑かされるほど愚かだと言うのか、御門」
「滅相もございません。なれど、真に邪悪な者なれば、卑劣な技で星見の君の目をくらますこともありえるかと」
「随分と見くびられたものだねえ」
 梅月は、男にしては細い顎を摘まんで、嘆息してみせる。
「僕は僕の意思でここに在る。何人たりとも、僕の意思を捻じ曲げることなど出来ようはずがない。それは君が一番よく分かっていることだろう」
 梅月はあくまで己の意思であることを強調した。
 このまま、自分と彼の間だけの話では済まなくなってしまうのが、梅月にとっては最悪の事態だった。
 だが、御門はもはや揺るがなかった。
「星見の君に仇なす輩を倒すも我が役目」
 低い声で告げる。
「必ずや星見の君をこの掃き溜めに縛りつける枷を、解き放って差し上げましょう」
 宣戦布告だった。
 御門は優雅に一礼し、茶室を出る。
 戸を閉めようとしてふと思いついたように、御門が問うた。
「星見の君におかれましては、事の顛末が見えておいででしょうか」
 梅月は、一瞬の間を置いて、鮮やかに破顔する。
「見えぬよ」
 御門が顔を歪ませる。
 本日はこれにて、と頭を下げて、静かに戸を閉める。
 屋敷の中から御門の気配が消えたことまで確認した途端、梅月の面から笑みが消え去った。
 膝に置いた拳を、関節が白く浮き出るほどに握り締め、呟いた。
「…しくじったか」
 年頃が近く、梅月よりも二、三年上の御門は、真琴が物心ついた時には既につききりで、その力故に家族からも隔離されていた真琴にとっては、兄代わりの存在でもあった。
 元来、正確な未来を知ることは人の身には禁忌である。
 その禁忌を犯す代々の星見は、常に心が正気と狂気の狭間にある。
 変えることが出来ない未来に絶望し、同時に己の命が削られていく。
 どうして正気を保てよう。
 まるで薄氷の上に立つような幼い自分の生半可ではない八つ当たりを、御門はその身に受け、それでも離れて行こうとはしなかった。
 真琴が、全てを擲って消え去るその日まで。
 御門が、本当のところどのような思いであったのか、それは梅月にも分からない。
 家訓のためか、それとも御門自身の愛着のためか。
 だが、事実として御門は、真琴の生命身体を守るためならば自らの命もいとわぬことがしばしばあった。
 それは幼い自分にとって、時に重苦しいほどだった。
 そんな御門の忠誠心の深さを、見誤ってしまったのかもしれない。
 いや、あれは忠誠心など言うものではない。
 執着だ。
 自らも同じような思いを抱えている梅月には、それがよく分かる。
 このまま秋月に戻らず市井にあったとしても、梅月の命はそう長いものではない。
 実は、戻るにせよ、戻らぬにせよ、命の期限はあまり変わらないことを、梅月は知っている。
 違いはただ一つ、彼の愛する者達が、彼の手の届くところにあるか否か、それだけだ。
 むしろ、当主として秋月に戻った方が、より贅沢に何不自由なく暮らせるだろう。
 別に秋月の星見としてでなくとも、梅月には未来が見えてしまう。
 自ら家を捨てても、その身に宿る力までは捨てることは叶わなかった。
 梅月の強すぎる力は自らに、望むと望まざるとに関わらず、これから百年は戦争に明け暮れるこの国の暗い未来を見せつけていた。世が乱れれば乱れるほど、先見の力は求められる。
 だと言うのに、梅月がいかに優れた先見と言え、自分自身が深く関わる事柄については、おぼろげなことしか分からない。
 それが、先見の宿命だ。
 はっきりと知れるのは、己の命の刻限のみ。
 そのことを、梅月は初めて恨んだ、
 全く何の役にも立たぬ忌々しい力だと。
 知りたいことは、気がかりなのは、そんなことではないのに。
「弥勒…」
 梅月はその名を呟く。
 御門が『枷』と言ったのは、恐らく弥勒のことだろう。
 梅月の存在を捕えた今、さすがに梅月が弥勒に執心しているぐらいのことは調べがついているだろう。
 だが当の弥勒は、梅月がどれほど誘ってもけして鬼哭村から工房を移そうとしなかった。
 このまま梅月が秋月に戻れば、弥勒とは二度と会うことすらも叶わなくなるだろう。
 それは、今の梅月にとっては耐え難いことであった。
 自らと同種の、陰気を操ることにかけてはむしろ梅月よりも上手の弥勒の存在を得ることで、陽気に専念できる梅月の力は新たな調和を見出し、安定してしまった。
 この調和をもう一度取り直すことは、まず無理だ。
 それは梅月が弥勒と言う存在を失うことを意味する。
 天命ならば諦めもしよう。
 だが、その玉の緒を自らのせいで断ち切られたならば、梅月はもはや正気を保つことは出来まい。
 この思いは、恐らく恋情ではない。
 いや、言葉などどうでもいい。梅月が弥勒に断ち切り難い思いを抱いていることは間違いないのだから。
 かと言って、秋月の家に一緒に連れて行っても――弥勒がうなずくはずがないが――無事である保証はない。
 あの隻腕を――神の(しるし)をそれと知らず忌み嫌われるだけならまだましだが、弥勒の巫子としての能力に気がつかれてしまった時の方が恐ろしい。
 梅月と違い、星見と言う余分な能力を持たない弥勒は、身の内の場を十全に使うことが出来る。
 陰気の方が馴染みがいいとは言え、あれほどの大きな、そしてまっさらな場を持つ弥勒は、目に見えぬ神をその身に降ろす依坐(よりまし)に最適で、かつ、降ろした神をそのまま封じることも可能のはずだ。
 更に言うなら、面と言う固定された形に封じるよりは、弥勒自身の肉体を依坐とした方が、より大きな力を自在に行使出来よう。
 秋月や御門家のような術を生業とする者達にとって、垂涎の存在だと言っていい。
 神をその身に降ろし、封じ込め、傀儡と出来たなら。
 だが、きっとその時は、此岸と彼岸のあわいにある弥勒の心は、迷わず彼岸へと旅立ってしまうだろう。
 梅月はぞくりと震えて、自分の肩を抱いた。
 弥勒の力を知られても知られなくとも、このまま手をこまねいていれば、梅月が弥勒と言う存在を失ってしまうことは間違いない。
 かと言って、弥勒の身の安全のために梅月が弥勒を諦めることも出来ようはずがない。
 そんなことは、考えただけで心の臓が凍りつきそうだ。
 未来は、詠めない。
 今まで詠めぬ未来などなかった梅月にとって、それは両目を塞がれたも同然だ。
「僕はどうしたらいい。どうすれば守りきれる…」
 梅月は頭を抱え、髪を掻き毟り、うめいた。
 しばらく悶え苦しんだ後に顔を上げた時、幽鬼のような梅月の目の色は狂気に傾いていた。
 血の気を失った唇が言葉を紡ぐ。
「この身に代えても守り通さねば」
 何をしても。
 例え兄代わりの男を自ら手にかけたとしても。
 だが、敵は一人ではない。
 自分一人では手が足りない。
 ただ、どれほどの人を巻き込もうとも。
「何としても守り切ってみせよう」
 梅月は、暗い瞳で歪んだ笑みを浮かべた。



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