「いきなり言うに事欠いて赤絵の大皿とは何事ですか」
梅月の顔を見た途端、不機嫌を隠そうともせず奈涸が言った。
「すまないね、呼び付けてしまって」
しかし、梅月はにこやかに笑って、自分の前の座布団を指し示す。
「まあ、まずは座りたまえ」
奈涸は足音も立てずに歩を進め、勧められた座布団の上に裾を払って座った。
それから、抱えていた風呂敷包みを前に置く。
赤絵の大皿と言うにはあまりにも小さく、そして高さのある包みであるし、奈涸の扱いもぞんざいだった。
無論中身は大皿などではない。
奈涸が不機嫌には訳がある。
王子の如月骨董品店へ梅月から使いがやってきたのは、昨日の午のことだ。
だと言うのに、その用件は「翌日の午に屋敷に赤絵の大皿を持ってきて欲しい」と言う無理難題だったのだ。
骨董屋にとって、粋人として名を馳せる梅月は上得意で、多少の無理ならいくらでも聞くが、多少では済まない無理はやはり無理なのだ。
そんなことは誰よりも分かっているはずの梅月がそんな無茶な無粋を言うものだから、奈涸が不機嫌になるのも当たり前だ。
何か裏があるのだと、気がつかぬほど奈涸は愚鈍ではない。
「で、何を持ってきてくれたんだい?」
「茶碗を一つ」
と、奈涸がすっと風呂敷包みを解くと、何の変哲もない普段づかいの茶碗が現れた。
嫌味である。
が、
「いいよ、言い値で引き取ろう」
梅月は茶碗を手に取りもせずうなずいた。
奈涸は溜め息を吐く。
梅月には一目でその価値が分かったはずだ。
それぐらいの安物を、わざと持ってきた。
それでも言い値で引き取ると言うのだから、これから吹っかけられる話の困難さが思いやられた。
「で、一体何用です?」
奈涸は、やはり不機嫌さを隠そうともせず、単刀直入に尋ねた。
「お願いがあってね」
「それは、分かっていますよ」
木で鼻を括ったような返答をする奈涸の態度に、梅月は薄く笑った。
ただし、目だけが笑っていない。
そしてそれを見抜けぬ奈涸でもない。
「飛水の里で一番の使い手と謳われた奈涸殿に依頼したいことがある」
聞いた途端、奈涸の整った眉尻が跳ね上がった。
「そちらの商売はとうに廃業したんです」
取りつく島もない。
しかし、梅月も引く気はなかった。
「まあ、話だけでも聞いてもらえないかな」
口先では願い事をするようではあるが、梅月は相手が否やと言っても聞かせるつもりだ。
その辺、言霊を扱う梅月にとって最も得意とする分野である。
そして一度聞いてしまった日には、まず逃げ道はない。
梅月の言霊の罠からまんまとすり抜けていくのは、実際弥勒ぐらいのものである。
それが分かっているから、奈涸は出来れば聞かずに帰りたかったが、梅月の屋敷に足を踏み入れてしまった時点で勝敗は決していたと言えよう。
「…と言うことでね、君の力がどうしても必要なのだ」
梅月は終始笑顔で御門とのいきさつをかいつまんで説明した。
対して腕組みをした奈涸は、正に苦虫を噛み潰したような表情だ。
「冗談じゃありませんね」
遠回しに嫌味など言っている場合ではない。
「相手が術師では、俺は分が悪すぎます」
しかも目の前の少々化け物じみた力の持ち主の護衛を任されるような陰陽師だとは。
その言葉は飲み込んだ。
並の相手ならその程度の罵倒をするのもやぶさかではないほどに機嫌は悪かったが、相手は本当に化け物だ。
逆鱗に触れるような真似はしたくない。
代わりに奈涸はきっぱりと言った。
「お引き受け致しかねます」
俺だって命は惜しいんです、と、今は身も心も骨董に捧げていると公言してはばからない元忍びは、恥じることもなく言い切った。
ましてや、どう考えても梅月の身から出た錆、身内の諍いである。
妥協するなり、身内さえ打ち倒すなり、梅月自身が解決すれば良いだけのことだ。
巻き込まれてはたまらない。
「ああ、護衛すべき相手を言っていなかったね」
だが、梅月は目が笑っていない怖い笑顔を崩さずに、切り札を出した。
「護衛して欲しいのは弥勒なんだ」
「は?」
梅月の身内の話に何故その名前が出てくるのか頭がついていけずに、奈涸が怪訝な顔をしたのも無理はないだろう。
「弥勒以外、いないんだよ。僕の力が及ばないところにいる、僕の気に入りと言うのはね」
梅月が苦笑する。
初めて、まともな笑顔だった。
「ああ、まあ、確かに」
奈涸は無表情な弥勒の顔を思い出す。
孤独と引き換えに、弥勒は何者にも縛られず面だけの世界に生きている。
梅月が通いつめ、随分口説いていたことは村に関わりのある者は誰でも知っている。
だが実は、弥勒を引き取りたいと申し出ている贔屓の旦那衆は梅月だけではないのだ。
奈涸は職業柄、その辺の事情に詳しい。
世に名の知れた旦那衆なら、芸に生きる者の気質をよく知っているはずで、面打ちに関して弥勒を束縛するような、そんな無粋なことは誰もしないだろうと思われる。
端から見ている分には、誰かの屋敷に引き取ってもらって生活の面倒を見てもらった方がよかろうと思うのだが、何故か弥勒はその一切に耳を貸すことなく、村の工房に住み着いたままでいる。
村には、九角の手になる言霊の結界が張ってある。
いかな梅月とは言え、あの結界の中に訪れることは出来ても、外から干渉することは出来ない。
ならば、その御門とやらも同じなのではないか。
しかも、梅月よりも呪力は弱いのだろう。
そう首を傾げると、梅月が溜め息をついた。
「村でおとなしくしていてくれれば、僕も心配はしないのだけどね。でも、弥勒は市には出るだろうし」
ああ、そうでしたね、と、奈涸も溜め息を吐いた。
あの不愛想でどうして商売が成り立つのか分からないが、弥勒は自ら市に出る。
すなわち、村から出る。
梅月はその間のことを心配しているのだ。
「でしたら、事が片付くまでの間だけでも、こちらに引き取られたらどうですか」
「もう断られたよ」
でなければ君を呼びはしないよ、と、梅月は暗く微笑んだ。
「ああ、そういうことですか…」
奈涸は額に手を当てて呻いた。
そして、
「考えるに、闇討ちに対処できる人材が必要なんだ」
梅月はさりげなく話を戻した。
「秋月は無論食客も抱えている。腕力に任せてこられては、いかな僕でも対処しきれぬ」
だから君の力が必要なんだ、と、言われて、奈涸は押し黙った。
巧く退路を断たれたことに気がついたからだ。
恐らくここで渋ろうものなら、梅月は弥勒が傷つけられてもいいのかと詰られるのだろう。
奈涸にとって弥勒は大切な取引相手である。
焼き物の目利きに関しては奈涸も自信があるのだが、その分、彫り物についてはまだ発展途上で、そして彫り物に関しての目利きは、奈涸の知り合いの中では弥勒に勝る者がいない。
何より、弥勒が二度と新作を生み出せなくなることは、奈涸にとっても耐え難いことであることもお見通しだろう。
が。
梅月は奈涸の考えるよりもはるかにしたたかだった。
「今度、京より僕の贔屓の旦那がいらっしゃる。風変わりな品を集めていらっしゃる方でね、良ければ如月骨董品店をお勧めしておこう」
奈涸の背筋が総毛だった。
虫の知らせと言う奴である。
皆まで聞きたくないと何とか止めようとしたが、今更止められるはずもなかった。
「あの…」
「無論ね、その逆もある訳だけれどね」
にこり、と、邪気のない笑顔を見せるが、その中身は邪気の塊だ。
粋人として知られる梅月がもしも一言奈涸の目利きに疑問を呈すれば、如月骨董品店に明日はない。
梅月に首根っこを抑えらているのだと、奈涸は理解する。
今までそんなことは一言も言わなかった梅月がそんなことを持ち出すほど、追い詰められているのだということも。
奈涸は肺腑を空にするように大きな息を吐いた。
「俺は術に関してはどうにもしようがありませんよ」
まあ、弥勒自身が対処出来るでしょうが、と、奈涸が呟くと、
「弥勒に力は使わせないで欲しい」
梅月が厳しい声で遮った。
「弥勒の力は出来る限り伏せておきたい」
「何故?」
奈涸は梅月の目を見る。
情報は全て引き出しておかねば、命取りになることもある。
梅月はまだ沢山のことを隠したままだと、手練れである奈涸の勘が告げている。
だが、相手は何しろ海千山千、少しでも多くの情報を引き出すためには、わずかな所作も見逃せない。
その思いが伝わったのか、梅月は表情を消していた。
「術師にとって、弥勒の力が魅力的だと言うことが分かるだろうか」
「どういう、ことです?」
術を使うとは言うものの、血によって遺伝する特殊な術の遣い手である奈涸は首を捻った。
「弥勒の力はかなり特殊なものだ。弥勒は自分の中に取り込んだ気を力として他者に与えることが出来る」
梅月の説明は漠然としていて、本質的に術師ではない奈涸は、理解しきれず更に首を傾げる。
「例えば、四神の宿星を持つ君達は、四神の現世における代行者だ。本来の四神はこの世の狭間のどこかにあって、君達はいずこかにいる四神と自らを結びつけ、四神から力の一端を引き出し、使役している。それは分かるね?」
「ええ、それは」
奈涸がうなずく。自らの力については説明されるまでもないことだ。
「陰陽師などの術師も、本質的には同じだ。いずこからか力を呼び出し、使役する。それは、力を使役する能力と、力そのものは別物だと言うことだ。力そのものにはおいそれと触れることは出来ない」
「しかしそれは、面の力を使役する弥勒も我々と同じことでしょう?」
先回りをする奈涸の言葉に、梅月は首を横に振った。
「面は、本来命を持たぬ単なる物に過ぎない。その面に力を与えているのは、弥勒自身だ」
「ああ…」
思わず声が漏れた。
奈涸はようやく理解した。
「四神に例えるなら、弥勒は力を引き出し使役する僕らであり、僕らに力を貸し与える四神そのものでもあると言うことですね」
「それがどれほど特異であるか、分かるだろう?」
梅月の問いに、奈涸は小さくうなずいた。
かつての仲間達は特異な力の持ち主ばかりであり、力を使役する者は多くいる。
が、他者に力そのものを与えられる者は、ほとんどいない。
弥勒が異形の命を宿す面を打ち出すことは、今は封じた五色の玉を生み出すようなものだ。
力を与える相手が、力を使役できる術者であるとしたら。
「とびきり、ですね」
「本人は、そのことには全く気づいていないようだがね」
唸る奈涸に、梅月はわずかに表情を緩めて苦く笑った。
だが、すぐに表情を改めて、梅月はきっぱりと言った。
「彼自身に価値があるとは知られたくないのだよ」
「成程」
腕組みをして整った眉を寄せた奈涸の目つきは、既にただの骨董屋のものではなかった。
「だとすると、どうしても術に対応できる仲間がいりますね」
「術に関しては僕が引き受けるよ。それと、もう一人助け手を確保したので心配はないよ」
どうやら、巻き込まれる犠牲者は一人ではないらしい。
「分かりました。ご協力します」
「ありがたい」
相変わらず邪気がなさそうな笑顔を作る梅月へ、奈涸は挑むように言う。
「その代わり、お代は高くつきますよ」
「無論、僕に払えるものであれば、何でも払うとも」
「商談成立、ですね」
とは言いつつ、奈涸の表情は骨董品屋の若旦那のそれではない。
「それと後もう一つ、お願いがあるんだ」
商売人の愛想をなくした奈涸へ、梅月は恐れ気もなく言った。
「何ですか」
まだ何かあるのかと言う表情を隠しもしない。
「僕でも扱える小柄を一本、譲って欲しい」
その言葉に、少し奈涸は表情を改めた。
「…承知しました」
奈涸が居住まいを正してうなずくと、梅月はこの日初めて偽りのない会心の笑顔を浮かべた。