執着 六



 「よう、これから吉原だってな」
 開けっ放しの戸から親しげに声をかけられても、弥勒は顔を上げず、商売道具である刃物をまとめる手も止めなかった。
「何の用だとも聞いてくれんのか」
 一つ肩を竦めた相手が三和土に座って初めて、弥勒が応じた。
「忙しい」
 一言である。
「つれないねえ」
 しかし、相手もへこたれる様子を見せない。
 この程度でへこたれていたら、弥勒とは付き合えない。
 実際、大概の者は付き合えないのだが、彼は数少ない例外の一人である。
「だが、俺の方は用事があるんだな、これが」
 にっこりと商売用の愛想のいい笑顔を浮かべ、奈涸が言う。
「俺も吉原に野暮用があってな。どうだ、ついでだから俺が遣いをしてやろうか」
 そうしたら上手いこと儲けてやるぞ、と、奈涸は商売人の顔で言う。
 よほど商売が性に合っているのだろう、既に違和感と言うものがない。
 これで里一番の使い手で、しかも玄武の力をその身に宿らせていると言うのだから、飛水の里の者が見たら憤死する者もあるのではなかろうか。
 もっとも、そんな事情など知ったことではない弥勒は言下に切り捨てる。
「余計な世話だ」
 梃子でも動かぬと背中に書いてあるようだ。
 その様を見て、奈涸は、ふう、と一息吐いた。
 弥勒が言い出したら聞かない頑固者であることは、身に染みて分かっている。
「仕方ない。俺もこれから出るところだ。一緒に行こう」
 その申し出を弥勒が黙殺したのは言うまでもない。




















 「ああ、夕焼けがきれいだ。明日も晴れそうだな」
 相変わらずの仏頂面の弥勒の隣に並んで歩く奈涸は、返事の有無など構わずに好きに話している。
 商売上、愛想がよくて話し上手なので、大抵はつい釣り込まれてうっかり蔵整理の人足にされたりするのだが、しゃべらぬ弥勒にその心配はない。
 もっとも、弥勒に蔵整理を手伝わせるつもりなど奈涸にも毛頭ないだろうが。
 そんなことをするぐらいなら、簪の一本でも作らせた方が得策だ。
 それにしても、村からの道中を見ている者がいたら、どうでもいい雑談とは言え一人でよく話題が尽きぬものだと、また、相槌の一つも碌に打たずにいられるものだと感心したことだろう。
 噛み合うも何も、歯車の歯が存在しないかのようだ。
 だがこの二人、実は想像するより遥かに仲がよい。
 奈涸は弥勒の面や簪細工を高く評価し、弥勒は奈涸に彫り細工の目利きを頼まれれば断ったことがない。
 時には、面でもないと言うのに快く王子の店まで出向くことすらあるのだ。
 弥勒と言う男をよく知っている者からすると、驚嘆の事実である。
 しかし、この日の弥勒は、記録的に機嫌が悪かった。
 いつもなら会話らしきものが成立するし、少なくとも弥勒が二回に一度ぐらいは相槌を打つのだが、今日はそれすらない。
 ようやく言ったと思えば、
「骨董屋、どこまでついて来るつもりだ」
 どうせ嘘なんだろう、と、決めつける。
 けれど奈涸は全く気分を害した様子はなかった。
「だから俺も商売なんだと言っているだろうに」
 人の話を聞け、と、特に手荷物もないと言うのにけろりと言ってのけて、逆に会話の糸口にする。
「弥勒は、また妓楼の内職か?」
 弥勒は小さくうなずき、同時に奈涸から視線を外した。
 奈涸はかまわずしゃべり続ける。
「いや、日が長くなったものだ。おかげでこんな寂しい人気のないところで黄昏時だ」
 そうして、どこから取り出したか、忍び刀の鞘を左手で掴んでいた。
「奈涸」
 そう呼ぶ弥勒の声には、不機嫌さが滲み出ていた。
 その一言で、弥勒に自分が狙われた自覚があることを奈涸は悟った。
 弥勒が他人に借りを作るのを嫌がる性質だと言うことを、奈涸もよく知っている。
 だから、手短に言う。
「俺に恩に着ることなどないさ」
「奈涸」
 また名を呼ばれるが、今度はわずかに困惑の色が混じっていた。
「これが今日の商売なんでな」
 そりのない忍び刀を構え、にやりと笑うその表情は、既に愛想のいい骨董屋のものではない。
 奈涸を遠ざけることを諦めたのか、弥勒が、ふ、と、息を吐く。
「役者は、不足のようだが」
 弥勒が呟く。
 その視線の先から、わらわらと浪人風の男達が現れてくる。
「まあ、雑魚とは思うが、何か仕掛けでもあるのか?」
 奈涸は鞘に納めたままの刀を構え、背後の弥勒に問う。
「人ではない」
「やはりな」
 弥勒は常と変わらぬ無表情のまま、奈涸も平然と受け止めた。
 人ならぬモノとの戦いは、慣れている。
「数は十」
 弥勒が読み取った数を伝えてくる。
 それが誰にでも出来ることではないと、分かっているのかどうか。
「手始めには手頃だな」
 奈涸は大上段に斬りかかって来た相手に対し、体を沈めながら大きく踏み込んだ。
 刀の長い間合いを一気に潰し、相手の懐の中で忍び刀を抜き打つ。
 刃渡りの短い刀が相手の胴を薙いだ。
 更に、奈涸は上体を捻り戻す勢いでそのまま忍び刀も振り上げ、右手から斬りかかってきた浪人風を下から斜めに斬り上げる。
 本来であれば血飛沫が飛び散るはずであったが、そうはならなかった。
 その前に肉を斬る手応えもない。
 そうして、奈涸が斬り捨てた浪人風の男達の姿はかき消え、真っ二つに裂けた人形の紙が地面にひらりと落ちた。
「ふむ、全部これか」
 奈涸は地面に落ちた形代を拾い、考え込む仕草をする。
「ならば、早速これを使うこととしよう」
 と、拾った形代を袂に落とし、懐からきれいに折りたたんだ紙を取り出す。
 その半紙を開くと、墨跡も麗しい筆跡で句が書きつけられている。
 その筆跡には、弥勒も嫌と言うほど見覚えがある。
「吟詠!」
 奈涸は懐紙を指先に挟んで書きつけられた句を読み上げ、襲い掛かってくる式に投げつけた。
 途端、指先で挟んでいた半紙から猛火が迸り、式達を包み込む。
「すごいな、この俺が火を扱える日が来るとは思わなかった」
「奈涸」
 悲鳴を上げる暇もあらば、式達は本体である形代を焼き尽くされて消える。
「でもさすがに俺だと加減が巧くいかんようだな」
 豪と燃え盛る炎を前にしながら平然と、小さな火ぶくれが出来てしまった指先など見て呟く奈涸の隣で、弥勒が鋭く睨んでいる。
「それでも、まあ、とんでもないね、あの方は。水性に固定された俺でさえ、仮初めにも火を扱えるようにしてしまうんだから」
「おい」
 さすがの弥勒が痺れを切らしたか、無視を決め込んだ奈涸の肩を掴んだ。
「何を、した」
 奈涸が振り向くと、弥勒は自分の胸を押さえて、微かに眉をしかめた。
「さあてね」
 対する奈涸はにやり、と、きれいな顔にあまり品の良くない笑みを浮かべる。
「俺も詳しいことは知らん。知りたければ、俺の雇い主に聞くんだな」
 お待ちかねだろうよ、と、奈涸は付け加えた。
 途端、弥勒が苦虫を噛み潰したような顔になる。
 これほどまでに分かり易い変化は奈涸でさえ数えるほどしか見たことのないことで、素直に驚く。
「これは驚いた。お前もそんな顔をするんだな。約束には入っていなかったが、悪くないおまけだ」
 くっくと楽しげにのどの奥で笑う奈涸の前で、弥勒は天を仰いだ。
 それが、奈涸のからかいから逃げるためか、本当に状況の変化を知らせるためだったのかは、奈涸にも読めない。
「…結界が消えた」
「それじゃあ、行くか」
 奈涸も忍び刀を納め、愛想のいい骨董屋の若旦那に戻る。
 もっとも、連れがかなり特異な容姿の持ち主であるから、奈涸だけが唯人に紛れても、あまり意味はないのだが。
「君も来るのか」
 弥勒の声は平板ではあるが、微かに揺らいでいる。
「無論。これが今の商売だと言ったろう」
 奈涸は朗らかに言い、先に立って歩き出した。



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