執着 七



 二人で吉原の大門を潜り、いつもの見世に辿り着く。
 仕事の時は、弥勒はいつも若衆の部屋に通されるのだが、今日は二階へ案内された。
 逃げる素振りを見せたら奈涸は引きずってでも連れて行かねばならなかったのだが、案に相違して、弥勒はおとなしくついて来た。
 ただし、弥勒の機嫌は最悪で、妓楼の若衆達が知らず避けて通るほどの陰気を放っている。
「こちらです」
 微妙に顔を引きつらせた二階番が示した部屋の中からは、三味線の音と、覚えのある気配。
 奈涸が声をかけて襖に手をかける。
「無事連れて参りましたよ」
「お疲れ様」
 奈涸が襖を開いた刹那、奈涸を脇に押しやって弥勒が部屋に踏み込んだ。
 弥勒は部屋の上座で微笑む梅月を見、それから、何故か隣で三味線を弾いている桔梗を見た。
 ぱっと見には、芸者を呼んで寛いでいる客にしか見えないが、本来の部屋の主である遊女の姿はない。
 もっとも、彼らの正体を知っている者にしてみれば茶番以外の何物でもない。
 恐らく空いている座敷を一晩借り切ったのだろう。
 この妓楼は知らぬ者はない大見世だが、梅月にとってはさほど懐が痛む出費でもなかろう。
 弥勒は、桔梗は一瞥しただけにとどめて、すぐに梅月に視線を戻す。
「まずは座ったらどうだい?」
 弥勒にそんなつもりは小指の爪の先ほどもないことを知りながら、梅月は酒席を勧める。
 だが、弥勒は無視して地を這うような声で言った。
「見捨てろと言ったはずだ」
「出来る訳がないよ、そんなこと」
 言われた梅月は、にっこりと笑って返す。
 その瞬間、ぱしん、と、木が弾けるような音が立て続けにした。
 実際弾けたのは、気である。
 弥勒の抑えるつもりもない陰気が、梅月を包む陽気に触れ、弾けたのだ。
「君が勝手に一人相撲を取るのなら止めはせんが、余計な者まで巻き込むな。そんな暇があったらさっさとけりをつけろと言ったはずだ」
「ちゃんと秋月とは表からも裏からも話をしているよ。けれど、誰も僕に取って代わろうと言う胆力のある者がいなくて困っている」
 弥勒の並の者なら目を背けたくなるだろう視線を、梅月は微笑んで正面から受け止める。
 そりゃそうでしょう、と、立ちふさがる弥勒の背後で呟いた奈涸の声が、梅月に届いかなかったのは幸いだろう。
 弥勒と梅月、その性質の悪さでは似たり寄ったりである。
「まあまあ、お座りよ、弥勒」
 ばしばしと冗談では済まされぬほどの気の衝突を見て、ようやく桔梗が口を挟んだ。
 弥勒は、視線だけを婉然と微笑む桔梗に投げて、吐き捨てるように言う。
「結構だ。もう行く」
 だが、それで少し気がそがれたのであろう、弥勒と梅月の気の衝突は納まった。
「こんな茶番に費やす暇があったらとにかくさっさとけりをつけろ。それを言いに来ただけだ」
 と、言うが早いか弥勒は踵を返して部屋を出て行った。
 下手に手を出すと室内で術すら発動させかねない気配に、奈涸もうかつに手を出せず、ただその背を見送るばかりである。
「いやまあ、あの強情張りには参りますね」
 などと、ようやく席に着いた奈涸は梅月から視線をそらして呟く。
 弥勒も怖かったが、目の前の微笑を口元に貼り付けているくせに目が笑っていない雇い主はもっと恐ろしい。
「全く、だからこそ僕がこうして手を打たねばならなくなっているものを」
 吐き捨てながら、梅月は手にしていた扇をはらりと畳の上に投げる。
 仕草はどこまでも優雅だが、むしろだからこそ梅月の苛立ちが感じ取れてその正面に座る奈涸は針の筵である。
 気まずい雰囲気が満ちるの中、奈涸が話題の接ぎ穂を提示する。
「それにしてももう一人の助け手が桔梗とは」
 言われて見ればもっともですが、と、奈涸は手酌で始めながら言った。
 相手は土御門の流れを汲む陰陽師である。
 仲間内に数ある術者の中でも彼女ほどの適任者はいまい。
「それにしてもよく御館様が…」
「天戒様は二つ返事だったよ」
 桔梗は姉のような笑みを浮かべた。
「まあ、館殿御自身が優れた術者でらっしゃるからね。こちらが皆まで言わずともお分かりいただけたよ。他の側近の方々も御貸し下さるとおっしゃられたのだが、それはさすがに御辞退申し上げた」
 下手をすれば、本人が出馬しかねぬ勢いだったのではないかと奈涸は想像したが、それが実現しなかったのは幸いである。
 ただ、天戒自身の出馬はともかく、他の側近と言えば、九桐か風祭か。
 そちらを断られてしまったのは奈涸が御役御免の機会を失ったと言うことであり、奈涸にとっては不幸なことである。
 少々複雑な気分で奈涸が杯を重ねていると、投げた扇へ視線を落としたまま梅月が言った。
「そろそろ人心地ついたかな」
 とっさに奈涸が反応できずにいると、梅月がそっぽを向いたまま畳み掛ける。
「僕が渡した術を使ったということは、襲われたんだろう」
「ああ、はいはい」
 奈涸は杯を朱塗りの膳に戻して、袂から真っ二つになった形代を取り出した。
「この二枚は叩き斬って、残る八枚は燃やしてしまいました」
 梅月はちらと視線だけを上げて、差し出された形代を一瞥する。 「御門の手の者であることは間違いないが、随分下っ端を寄越したものだ」
 そうして、形代には触れもせずに桔梗に話しかけた。
「我々が返すまでもなく、返されているように思うのだけれど」
 すると、桔梗はやはり三味線を引く手を止めずに答えた。
「しばらく布団から起き上がれない程度には痛めつけられたんじゃありませんかねえ」
 いくら奈涸が相手と言ってもそんなきれいに真っ二つにされる程度の呪力なら、死ぬこともなかったんじゃないかと思いますけど、と、付け加える。
 と、梅月が口元を笑みに歪めた。
「いっそ死んでくれていた方が面倒が減ってありがたいんだけどね」
 笑顔で恐ろしいことをさらりと言って、梅月はもう興味を失ったように膳の上の杯へ手を伸ばす。
 どこまでも倣岸な支配者の横顔が、行灯の光の中に浮かび上がる。
 それこそが星見の『秋月真琴』としての梅月の本質だ。
 他人に命令することに慣れた人種とは得てしてこういうものだ。
 そういう人種をいやと言うほど知っており、また、梅月もそういう人種だと知っていて今回の件に巻き込まれた奈涸にとってはさほど驚くべきことでもない。
 今はこの梅月が奈涸の雇い主なのだ。
 かなり強引だったとは言え。
「それではこの形代はいかがいたしましょうか」
「燃やしてしまえばいいよ。もはやただの紙切れだ」
 と、梅月は優雅に杯を口元へ運びながら言った。
 奈涸は一つうなずいて、手にしていた形代を行灯の火に残骸を放り込む。
 残骸は、あっという間に燃え尽きた。
 再び座に着いた奈涸は、持ち上げた銚子の中身が空であることに気がつくと、何事でもないかのように梅月に言う。
「先生、酒を追加してねいいですか。いい酒だからついつい進んでしまって」
「ああ構わないよ、好きだけ頼むといい」
 少なくとも、この雇い主は金払いだけは悪くない。
「すみませんね、ついでに明日、弥勒が帰り支度を始めたら知らせてもらえるよう若衆に頼んでおきましょう」
 抜け目なくさらりと言ってのける奈涸に梅月は破顔した。
「さすが、ぬかりがないね」
 頼もしいことだと微笑する。
 そんな梅月を、奈涸はふと思い出したように見やった。
「そうそう、思い出しましたよ」
 と、懐から細い物を取り出す。
「頼まれていた小柄です。本来女持ちですが、先生にはそれぐらいでちょうどいいんじゃありませんかね」
 奈涸が差し出したのは、黒の漆塗りの上に豪華な螺鈿が施された小柄だった。
 僅かに鞘を抜くと、鈍色に輝く刃が現れる。
「品は間違いないものですよ」
「そのようだね」
 細く薄い刃であっても間違いなく命を奪うことの出来るであろうそれを黙って懐に納める梅月に、奈涸が尋ねる。
「どうなさるおつもりで?」
「これは…」
 一瞬言い淀んだが、次の瞬間、梅月は決然と言った。
「これは僕の覚悟だよ。今まで逃げ回ることしかしてこなかった僕の、初めての覚悟だ」
 その言葉に、奈涸は納得した表情でうなずき、桔梗はまた新しい曲を弾き始める。

 どこか寂しげな三味線の音が、夜の闇に響いた。



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