執着 十六



 「君達」
 山へ遊びに行こうと、歓声を上げながら村の物見櫓の脇を通り抜けた子供達に、涼やかな声がかかる。
 子供達が顔を上げると、いつもと変わらぬ様子で梅月が立っていた。
「あ、梅月先生、こんにちは!」
 気持ちのよい挨拶ににっこりと笑い、梅月は子供達に挨拶を返す。
「こんにちは」
 しかし、梅月は一歩も動こうとはせず、子供達を手招く。
 手招かれた子供達は何の疑いもなく近づいていった。
 一見、梅月にはおかしなところは何一つないのだから当たり前だ。
 梅月は間近で見ても暑い盛りだと言うのに汗一つかかぬ様子だ。
 けれど梅月が浮世離れしているのはいつものことで、今更訝しく思うことではない。
 だが、近寄ってみると違和感がある。
 子供と言うものは気配に対して想像以上に聡い。
 だからこそ、感じ取れたことなのかも知れない。
「君達すまないがね、ちょっと用事を頼まれてくれないか」
 違和感のせいでわずかに引き気味の子供達に、梅月は懐から一通の文を取り出し、
「これを、届けて欲しいんだ」
 と、その文を子供達に差し出した。
 宛名は、弥勒。
 事情を知っている者なら訳有りと敬遠したかもしれない。
 知らなかったとしても、村は目と鼻の先なのだから、ここまで来てわざわざ人を頼むことを訝しく思ったかもしれない。
 が、本能で異変を察知していたとしても、それをうまく言葉に出来ず、認識も出来ぬ子供達は素直にうなずく。
「いいですよ」
 と、その場で一番年嵩の子供が文を受け取った。
 すると、梅月はにっこり笑って、袂から掌に載るほどの包みを取り出す。
「お駄賃だ。皆で分けるといい」
 包みの口を少し開けると、色とりどりの金米糖が詰まっていた。
「わあ、ありがとうございます!」
 鄙びた山村ではあまり口に入れることの出来ない菓子を貰って、不審感も子供達が満面の笑みを浮かべると、梅月もにこりと笑う。
「では、頼んだよ」
「はぁい!」
 と、子供達は預かった書状と金米糖の包みを大切そうに抱えて、今来たばかりの道を戻ろうとした。
 だが、その背に梅月の声がかかる。
「そうそう」
 子供達が振り向くと、梅月は相変わらず涼やかな微笑を浮かべたまま、立っていた。
「君達、御屋形様のお許しが出るまで、しばらく村の外には出ない方がいい」
 あまりにも唐突な梅月の言葉に、子供達は小首を傾げた。
「どうしてですか?」
 文を抱えた、一番年嵩の子が代表して問い掛ける。
「最近、悪いおじさん達がこの辺りをうろついているようだからね」
 必ず御屋形様が退治して下さるだろうから、それまでおとなしくしておいで、と、梅月が告げる。
 その気配は、涼やかを通り越して冷ややかですらあった。
 そんな梅月を前にして、子供達は何故かぶるりと震えた。
 今目の前に、悪いおじさんがいるかのように。
「分かりました」
 うなずいて、子供達は一斉に村へと駆け戻って行く。
 何か、は分からない。
 だが、走れ、と、何かが子供達に命ずる。
 その視界の中に、血相を変えて村から飛び出してきた風祭の姿が飛び込んでくる。
「風祭様ー」
 呼ばれた風祭は、まず半泣きで駆け寄って来る子供達を見、すぐにその先の怪しげな存在に視線を向けた。
「てめっ、そこを動くな!」
 怒鳴りつけた瞬間、半泣きだった子供達が本泣きになる。
 だが、風祭は構わず梅月の姿をしたソレへ駆け寄った。
 盛大に泣き始めた子供達を、少し遅れて出て来た九桐が宥める。
 風祭の怒鳴り声に押された訳でもあるまいに、梅月はじっとその場にたたずんでいた。
「この野郎、村の傍で怪しげな気配撒き散らしやがって!」
 と、風祭がその胸倉を掴もうと腕を伸ばした瞬間、梅月は口元だけで笑った。
「ま、待て、この…!」
 本能的に、逃げられると感じた風祭は、必死で腕を伸ばした。
 だが、まるで嘲笑うかのように、梅月の姿は徐々に薄く透き通り、終いには輪郭も融けて明るい日差しの中に消えた。
「な…」
 と、風祭は一瞬絶句したものの。
「もう二度と村に入れてやらねえからなーっっ」
 腹の底から叫んでも、後の祭りである。










 「罠に決まってる」
 腕組みをし、眉根を寄せて九桐が言う。
「俺達は術の見極めは出来んが、気の禍々しさは見極めも必要ないほどだった」
 その言葉に、風祭もうなずいた。
 彼らは武芸の達人であり、術に関してはからきし素人だが、気の見極め自体には長けている。
 桔梗も駆けつけたのだが、女の足で遅れ馳せながら駆けつけたその時には全てが終わっており、術の痕跡一つ残らぬ念の入りようであったのだ。
 そのことから、式を飛ばしたのはよほど上級の術者であることだけは知れるのだが、
「あれは結局式神だったんだろう。だったらその御門とやらの仕業ではないのか」
 九桐の言葉に、桔梗が首を横に振った。
「先生は陰陽術も修めてらっしゃるそうだよ。当然手ほどきしたのは御門家だろうね」
 あの方は全く術に関しては際限がないね、と、奈涸が呟く。
 それはさておき、術の系統で区別をつけることは不可能だと言うことだ。
 そう、その式の使い手が梅月だったのか、御門だったのかの区別がつかず、彼らはこうして頭を悩ませているのだ。
 あまりにも怪し過ぎる状況のため、九桐は弥勒に文を渡す前にまず九角に判断を仰ぎ、九角は即座に関係者を館に呼び集めた。
 それで一体どちらが出したものか区別がつかぬものかと、皆で思案しているのだ。
 式がもたらした文は、弥勒を梅月の屋敷に招くものだった。
 救援の求めか。
 それとも罠か。
 文を出したのが梅月であるか御門であるかで、おのずと意味が違ってこよう。
「ならばその文そのもので区別がつかんか」
 話を振られて梅月の姿をした式からの文を広げた奈涸は唸った。
「この墨跡は間違いなく先生の手によるものだ」
 仲間であると同時に骨董品店の店主と御得意様と言う関係にある奈涸は、書面を通じてやり取りすることが多々あり、その筆跡に見覚えがあるというのだ。
「そんな簡単な文面なら真似出来るのではないか?」
 文の文面は至って単純、
『本日申の刻、我が屋敷に来られたし』
 で、後は署名のみだ。
「しかしな、この流麗な墨跡はそうそう真似の出来るものではないぞ」
 梅月はその正体を考えればさほど不思議なことではないが、有名な能書家でもあった。
 梅月肉筆の色紙は、それが自作の句でなくとも安くはない値がつくのだ。
「それにこの梅の透かしと焚き染めた梅の香。これは先生が最近気に入られている香りでな」
 と、奈涸は鑑定する骨董屋の顔で言う。
「ただ、先生にあやかって真似をしたいと言う者もいるからな。それなりの対価を支払えば同じものを手に入れるのも無理ではなかろうよ」
 秋月家にとって、本来の当主を取り戻すことはそれなりの対価を支払う価値のあることだろうし、さほど懐が痛むものでもなかろうしな、と、奈涸は文を畳の上に戻した。
「文からも八方塞か」
 九桐は、きれいに剃りあげた頭をつるりと撫でて嘆息した。
 が。
「それが本物だろうが偽物だろうがどっちだっていいさ」
 桔梗が強い口調で言う。
「とにかく、嫌な予感がするよ。拘わっちゃいけない」
 三味線を抱く桔梗はわずかに顔を強張らせていた。
「根拠は?」
「勘だよ」
 九桐に問われ、言下に答える。
「女の勘、ね」
「虫の知らせということもある。判断の拠り所が何もないのなら、勘に頼るのもあながち間違いとは言えなかろう」
 それまで黙って側近達の話を聞いていた九角がようやく口を開いた。
「どうする弥勒。この村にいる限り、身の安全は保証してやれるが…」
 と、やはり黙ってやり取りを聞いていた弥勒へ水を向けた。
 当の本人である弥勒は、座について以来まるで座禅を組む僧のように半眼で微動だにせず、話も聞いているのか否か分からぬほど押し黙っていたのだ。
 その弥勒が、ゆっくりと瞼を上げ、言った。
「俺一人で行く」
 途端、
「何だとーっっ!」
「何ですってぇ!?」
 非難の声が広間に渦巻く。
「てめえっ、さっきまでの話聞いてなかったのかよっ」
 一番気の短い風祭が弥勒の襟を掴みかかったが、弥勒はすげなく払う。
「聞いていた。こうもこみいったことをするのだ、罠だろうな」
「だったらっ」
「俺とてもはなはだ不本意だが、しかし、行かねば碌でもないことになりそうだとあっては、行くしかあるまい」
「何?」
 弥勒の言い回しに、九桐が眉を跳ね上げた。 
 そして何かに気づいた桔梗が振り向いた。
「この気配は…」
「迂闊だったな」
 と、弥勒は文を包んでいた宛名書きへ手を伸ばす。
「文はどうか知らんが、これは梅月の字ではないようだ」
 と、差し出された包み紙を奈涸が受け取る。
 ためすがめつ見つめた後に言う。
「……弥勒の言う通り、よく似せてはあるが、先生の筆跡ではないな」
「もし俺が行かねば、今結界の外にいる式がこの気配を手繰って入り込む手筈なのだろう」
「だって、俺の目の前で式は消えたぞ!? あの後調べたけど、どこにも変な気の流れなんかなかった!」
 喚く風祭に、答えたのは桔梗だった。
「ああ、消えてたよ。最初から二段構えだったんだろうさ。しかも今村の外にいるこの気配は、恐らく神将…」
 桔梗は口惜しそうに形のよい唇を噛んだ。
 気づかなかった己を恥じているのだろう。
 だが、九角が言った。
「案ずるな、桔梗。糸口をつけたとて、たかがこの程度の気配、話にならぬ。確かに今外にいる式は相当な力を持っているようだが、結界を破るのが限度だ。俺もそれほど柔な結界は張っておらん」
 そう言って莞爾と微笑む。
 だが、結界をわずかなりとも傷つけられたら、施主である九角は全く無傷ではいられない。
 それは村にとって許されざることである。
 どれほどの好条件をぶら下げても、彼自身を痛めつけても、梃子でも動かぬ弥勒にとって、それは唯一の弱みであった。
「俺が行けば穏便に済む話だ」
 無感動な声で告げ、弥勒が立ち上がり、ついでとばかりに奈涸の手から包み紙をひったくる。
「ああ、待て、弥勒。俺も行く」
 と、無言で座敷を出て行こうとする弥勒を奈涸が呼び止める。
「奴等が用があるのは俺一人だ」
 冷ややかな視線を向け、それでも立ち止まった弥勒へ、
「俺と先生の契約はそれとは別問題だ」
 お前を逃がしたら俺がえらい目にあうのだ、と、奈涸は苦虫を噛み潰すような顔をした。
「あ、あたしも行くよ」
 桔梗も三味線を抱えて立ち上がる。
 それらを見ていた弥勒は、そっぽを向いて呟いた。
「足手まといはごめんだ」
 その後はもう振り返りもしない。
「それじゃ天戒様、行って参ります」
 それだけ言い残して、桔梗は慌てて追いかけていく。
 お待ち、弥勒、と、呼ばわる声が聞こえたが、弥勒が答えている様子はない。
 いつも通り、無視して歩いているのだろう。
「困った時は遠慮なく呼べ。我らいつでも手を貸そう」
「御気持ちだけありがたく頂戴しておきます」
 心から心配しているらしい九角の言葉に、最後まで残っていた奈涸は苦笑して返した。
 あまりにも優しすぎるといわんばかりに。
「では、御免」
 だがすぐに表情を改めて、奈涸も一陣の風と共に消えた。

十七

十五

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