「同道願おう」
と、村を出た弥勒の前に進み出たのは、雅な風貌の男と、年若くいかにも腕自慢そうな青年だった。
どちらもそれぞれに整った顔立ちをしているが、表情と言うものがまるでない。
人ではないことは一目で分かったが、彼らが神将であるかどうかまでは、弥勒には分からなかった。
しかし、分かったところで弥勒の態度が変わろうはずもないので、同じことではある。
実際、
「その前に」
と、弥勒は恐れ気もなく手にしていた文を差し出して問うた。
「お前達が村に入れた異物はこれだけか」
だが男は答えず、印を切って短く呪を唱える。
「縛」
途端、文の包み紙が形を変え、弥勒の手首に巻きついた。
宛名書きは弥勒であった。
最初から弥勒を戒めるための術が仕掛けてあったのだろう。
弥勒は手首の戒めに視線を落とす。
紙縒りのような華奢な戒めは、噛み切ろうと口に近づけると火花を発して弥勒の肌を焼く。
「無理だ、お前には切れぬ」
男は、地面に落ちた梅月の文を拾って懐に納めながら言った。
「我が主の命はどのような手を使ってもお前を連れてくること。お前さえおとなしくついてくるならば、この村には何も起きぬ」
口調はいかにも穏やかだが、その内容は脅迫である。
「行かぬ、と言えば」
「さて。試してみるか?」
わずかに嘲りを含んだ声に、弥勒は紙縒りの戒めを一瞥した後、踵を返して歩き始めた。
「村に何の災いも起こらぬならば、それでいい」
抵抗もなく、気負う様子すらなくさっさと歩き始めた弥勒の後姿に、青年が物騒なことを呟いた。
「抗ってくれれば痛めつける大義名分が出来たものを」
すると、既に道を下り始めていた弥勒が振り向きもせずに言った。
「面倒事はごめんだ。さっさと行くぞ」
しかし。
「お待ち!」
村から桔梗が走り出して来る。
その声に、舌打ちしたのは弥勒である。
「面倒だ、振り切るぞ」
「いや」
と、男は足を速めようとした弥勒を制して、桔梗へ相対する。
「あんた達…神将だね」
追いついて来た桔梗が息を整えながら尋ねると、彼らは弥勒に対する高圧的な態度とは明らかに違い、素直にうなずいた。
「吾子様、お初におめもじ仕ります。ただ今十二神将の長の代行を仰せつかっております、六合と申します。どうぞお見知りおきを」
と、雅やかな神将が、その姿に相応しい典雅な仕草で礼を取った。
「同じく、十二神将が一、天空」
と、年若い青年は無骨に礼をする。
「我らが長である貴人が御挨拶できませなんだことは平に御容赦を願います」
もしも吾子様のご尊顔を拝し奉ることが出来たなら、貴人こそ歓喜の極みでありましたでしょうに、と、六合は付け加えた。
その口調は、無表情ながら口先ばかりではない響きを帯びていた。
「おや、あたしを父様の娘と認めるのかい」
深く腰を折る二柱の神将を前に、桔梗は婉然と笑って言った。
「御身からは確かに、あの方の気配が感じられます故に」
六合は深く頭を下げたまま応じた。
だが、
「ならば、あたしの頼みを聞いておくれでないかい?」
と言う桔梗の問いには、言下に答える。
「いいえ、それはいかな吾子様の御言葉といえどなりませぬ」
「所詮は傍流――」
「いいえ」
桔梗の言葉を六合が鋭く制した。
「吾子様の御頼みとあらば叶えて差し上げたいのは山々なれど、この身は使役される式。唯一つ、あの者に関わることだけは我等の随意にはなりませぬ」
ちらり、と、弥勒へ視線を投げる。
その視線は氷のように冷たい。
そうして、ようよう頭を上げて、六合が切り出した。
「我らはこの世の者ならずとも、無益な殺生は好みませぬ。ましてや、我らをこの世に呼び出したあの方の血を引かれる吾子様を傷つけることなど、考えたくもございません」
無表情ながら、桔梗を見上げるその双眸には真摯な光が宿っていた。
「吾子様、どうぞ村にお戻り下さいませ。今ならまだ間に合います」
「桔梗、戻れ」
口を挟んだのは弥勒である。
感情などないはずの神将達が、弾かれたようにそちらへ視線を投げる。
弥勒は痛いほどの視線を受けながら、神将達に負けず劣らずの無表情ぶりである。
「足手まといは俺だけで充分だ」
「足手まといだって?」
弥勒の物言いに、桔梗は柳眉を逆立てた。
「父様の陰陽術を継いだあたしが足手まといになると言うのかい」
抑えた口調が逆に桔梗の怒りの深さを表していたが、弥勒は髪一筋動じる気配はない。
「土御門の術を抑え込む自信があればこそ、あれは我々を呼ばなかったのだろう。源を同じくする君の術は当然使えぬと考えるのが妥当だ。そして抑え込まれるだろうことを見越して、俺をあれへの質にしようと考えたからこそ、こなたがあんな小細工を仕掛けたと考えるのがまた妥当だろう」
理路整然とした言葉に桔梗が言葉に詰まる。
そして、今まで穏やかな態度を崩さなかった六合の気配が塗り変わる。
「たかが市井の面師にしては小賢しいことだ」
六合が発しているのは間違いなく怒気である。
弥勒は、むしろ頭は切れる方である。
そうでなければ梅月と対等には付き合えない。
ただ、その考えをほとんど口にしないため理解されにくく、御門達もその点で侮っていたのだろう。
視線で人が殺せるならば、即死しそうな視線を神将から浴びながら、弥勒は空を見上げて言った。
「骨董屋、お前もだ。体術が通じる相手でもあるまい」
『残念ながら、俺も契約に縛られる身でな』
気配を消した奈涸の人を食った声が、いずこからともなく響いてくる。
『お前が村を出れば先生との契約が発効する。お前の言う通り行ったところで役にも立たんだろうが、先生との契約を破棄出来るほどの度胸はないさ』
せいぜい邪魔にならぬようおとなしくしているさ、と言うその声は、どこまで本気なのか推し量ることも難しいが、戻る気は更々ないことだけは伝わってくる。
弥勒は小さく息を吐いた。
「どうなっても知らんぞ」
そして弥勒は桔梗に向き直る。
「君は骨董屋のように契約で縛られている訳ではあるまい。戻れ。俺一人の身ならば何とかなる」
皆、心配しているだろう、と、まるで他人事のような態度に、桔梗が切れた。
「寝言をお言いじゃないよ!」
桔梗は憤然として弥勒に詰め寄る。
「このあたしが家族を見捨てられるはずがないだろ! それもあんたみたいな頼りない男、見張ってなくちゃ枕を高くして眠れもしないよっ」
「桔梗」
「吾子様」
弥勒と六合が呼ぶにもかまわず、桔梗はぷいとそっぽを向いて号令する。
「さ、こんなところで押し問答してないでさっさと行くよ、あんた達。早く行かなきゃ間に合わないだろ」
そう言い放ち、先に立って歩き出す。
「お待ち下さい、吾子様」
「どうかお戻りを」
天空が慌てて桔梗を追う。
六合は踏み止まり、弥勒をにらみ据えた。
憮然として立ち尽くす弥勒の背後に、奈涸が姿を現して言った。
「諦めろ、駆け引きをするにはお前では役者不足だ」
と、笑みを含んだ声で告げられ、弥勒は頭を一つ振る。
「そのようだ」
珍しく盛大に溜め息を吐く。
そんな弥勒の様子を観察しながら、奈涸が問うた。
「しかし、どうする気だ」
心底気遣わしげな口調だったが、弥勒は一瞬怪訝そうな顔をした。
それが手首の紙縒りのことを言っているのだとはとっさに気づかなかったのだ。
だが、理解が及ぶと弥勒が唇の端を吊り上げる。
「案ずるな。これは俺には効かん」
それは、確かに笑みだった。
笑みと言うには余りにも凄絶で、奈涸でさえ背中に冷たいものを感じずにはいられなかったが。
そんな奈涸の内心など忖度する弥勒ではない。
「行くぞ」
笑いを納めて弥勒が歩き出すと、奈涸と六合が続いた。