執着 十八



 梅月は手にしていた最後の榊を地面に刺すと、大きく息を吐いた。
 注連を結びつけた榊は、等間隔に屋敷の塀に沿って並べられている。
「これでよし」
 呟いて、梅月は中庭へと足を運んだ。
 中庭では篝火が焚かれ、随分と明るい。
 だが、人の気配はない。
 今、この屋敷には梅月以外にはいないのだ。
 使用人達にはしばらく暇を出し、娘達は桧神道場へ預けた。
 勘のいい真那は何かあると勘付いたのだろう、屋敷に残ると言って聞かず、今にも飛び出しそうであったが、真由がいるし、何より女だてらに腕自慢が集う場所である。
 自分が迎えに来るまでけして一人にしてくれるなと、美冬を始めとして出入りする仲間達に念を押して来たので、まずは大丈夫だろう。
 もっともこの一大事に、身近から離す者を盾にしたところで梅月がそよとも揺らがぬ薄情な性質であることは、充分に承知しているはずだ。
 無論、相手がそう考えることさえも計算の内の行動である。
 だからこそ、梅月は一人で決着をつけることに決めたのだ。
 戦いになれば多勢に無勢で圧倒的に梅月が不利であるが、梅月には力で戦うつもりはない。
 自ら用意した舞台の上で、梅月自身の身柄を人質とする。
 それが最善の策であるはずだった。
 屋敷を覆う結界を完成させた梅月は、中庭に切られた池の辺に歩み寄る。
 池には美しい錦鯉が悠然と泳いでいるが、愛でる余裕はさすがにない。
 池を背にして立った梅月は、懐から古びた銅鏡を取り出した。
 手にした鏡を掲げて長い呪を唱える。
 途端、鏡から光が溢れ出し、徐々に何かが形を取り始める。
「よく来たね」
 光の中に現れた複数の人影に、梅月はにこりと邪気のなさそうな笑顔を向けると、次第に輪郭を露にしていくその先頭の者が、優雅に腰を折って応じた。
「お招きに預かり、参上いたしました、星見の君」
 慇懃無礼も通り越えて、薄ら寒いものすら感じさせる御門の態度を歯牙にもかけず、梅月はその背後に佇む人影達の顔を確認する。
「ふむ…貴人と天后の姿が見えぬな。まあ、お前の身代わりとしては妥当なところかな」
 貴人は十二神将達の長であり、天帝の后とされる天后は、貴人に次ぐ立場で常に主の傍らに侍っている。
 御門に対する梅月の呪いの詔を御門自身に及ばぬよう、神将はその一位、二位を占めるものを差し出さなければならなかったのだ。
 しかしそこまでしても、呪いを受けた御門自身、無事では済まなかったようだ。
 完全に実体化した御門は、その顔面の半分を白いさらしで覆っていた。
 顔面だけではない。首も、腕も、衣服から見える部分は全て、恐らく見えない部分も半身はさらしで覆われているのだろう。
 だが、御門は一片の苦痛も表に出さず、そして梅月は御門の苦痛など歯牙にもかけずに問うた。
「君と、神将と。今日の客人はこれで全部かい?」
「いえ、六合と天空は少し遅れるようでございます」
 首を横に振る御門を、梅月は鼻先で笑う。
「のこのこ遅れて来て、僕が入れてやるとでも思っているのかい?」
 梅月はあくまでさらりと言った。
 しかしまるで、薄刃を喉元に突きつけるような気配である。
 駆け引きは既に始まっているのだ。
 御門も薄く微笑して答える。
「我が君の結界に何の手立てもなく飛び込むのはあまりにも不利でございますので、少々策を講じさせていただきました」
「随分と正直なことだ」
「隠し立てを致しましたところでお見通しであろうと存じますので」
 と、御門は軽く頭を垂れる。
 その様を冷たい視線で睥睨して、梅月が切り出した。
「それでは一応、今日の用件を聞いておこうか」
「どうか秋月に星見の君としてお戻り下さいませ。この願い聞き届けられましたなら、御門の名にかけてその他の全て御身の御心のままに成就させて御覧にいれます」
 あの面師を庇護することも、あの娘達を秋月の家に入れることも、と、御門は梅月の弱みを澱みなく並べ立てていく。
 笑顔のままで聞いていた梅月は、小首を傾げ言い放つ。
「それは聞けぬと、この言霊のみを持って帰れと言ったら」
 すると、御門は腰を折ったまま、言った。
「…なれば、唯一つお願いがございます」
 梅月は肩透かしを食らった気分だった。
 まさかこれ以上御門が譲歩するとは思ってもいなかったのだ。
 だが、その感情は面には出さず、先を促す。
「聞くだけ聞いてやろうよ」
「ありがとうございます」
 御門は会釈をして、顔を上げた。
 まっすぐに梅月を見、視線と視線がぶつかり合う。
 それは恐らく、生まれて初めてのことだった。
 御門はけして主である梅月に視線を合わせるようなことはしなかった。
 必ず頭を垂れ、平伏していた。
 それ故にこれが最後の譲歩なのだと、梅月は察知する。
 そうして御門が言った言葉は。
「どうかあの面師だけはお切り下さい」
 梅月はくっと唇を歪めて笑った。
 さも面白いことを聞いたように、高らかに哄笑する。
 ひとしきり笑って、浮いた涙を指先で拭いながら尋ねる。
「僕が何故、霞梅月であることを望むか知っていて、その上でそれを言うのかい」
「なればこそ。あれは御身の御力を曇らせます。御身が完全なる星見であるために、あの面師は邪魔者以外の何物でもございません」
 半分しか見えぬ御門の面はあくまで真顔だ。
「彼が傍らにあれば僕の力は増す」
 遠い未来まで正確に見通す力は、秋月にとって魅惑的な条件のはずだった。
 強い力の行使は、梅月の命も大きく削る諸刃の剣であるが。
「しかし、死角も増します。さもなくば此度の顛末、最初から見抜いてらっしゃいましたでしょう」
 御門が梅月の痛いところを突く。
「私は、今も御身は欠けるところのない最強の星見であらせられるのだと思っておりました。どこの馬の骨ともつかぬ娘達を引き取られたり、あの面師の元に通われたり、それは単なる暇潰しの御戯れかと思っておりました。だが、違った」
 切々と訴える。
「自身に深く関わることだけは先見出来ませぬ。此度の顛末が見えぬと伺ったあの時の私の驚きをお察し下さい。何者からも自由だった御身が、あの面師への執着故にその御力を翳らせるなど…!」
 激昂するあまり、御門は一瞬言葉を詰まらせ、そして言った。
「御身は何者にも執着してはならないのです! 執着は先見に死角を作ります。そんなことはあってはならないのです」
 梅月はいかなる笑いも消した。
 これ以上の交渉は有り得なかった。
「僕に人であることをやめろと言うのか」
「御身は神の目を持つ御方。元より只人と同じ有り様であるはずがございません」
「…それこそがお前の執着だろう」
 梅月は、道を開いた鏡を投げ捨てた。
「お前はお前の都合で僕に枷をはめようとしているだけ。そんなものは相手にしていられぬ」
 鏡は光を失い、地に転がる。
 梅月の開いた道は消えた。
 これで御門達が梅月の結界から出るには、再び梅月が道を開くか、それとも梅月を倒すしかなくなった。
 そのことを、双方ともに分かっているはずなのに、その口元に浮かぶのは笑みだ。
 目は、笑っていなかったが。
 沈黙を打ち破るように、御門の背後に控えたいた四体の神将が動いた。
「星見の君、失礼仕ります!」
 梅月の四方から神将の手が伸びる。
 だが、梅月を中心とした円に沿って光の壁が神将の手を遮る。
 いや、それだけではない。
「ぎゃあっ」
 光の壁は神将を存在させる力をそのまま跳ね返した。
 断末魔の悲鳴を上げて神将の姿が掻き消え、後には四枚の人形だけが残された。
「やはり鏡の結界ですか」
 梅月は嘲りに満ちた声で尋ねる。
「どうだい、お前の真似をしてみたのだが」
「死角もありませんか。見事なものです」
 一度に四体もの神将を消されながら、御門は淡々と呟いただけだ。
 最初から分かりきったことではあった。
 いくら梅月が強大な術者であり、自ら創世した結界の中では術の威力の水増しが可能とは言え、戦うことにかけては正面切って神将を従えた御門に勝ることは難しい。
 そこで梅月は二重の結界を敷いたのだ。
 しかも、ただ守るだけではない、鏡の結界を。
 相手の力を跳ね返す鏡の結界が最も手軽で効果が大きい。
「さて、どうする? この結界は全てを跳ね返す。それが害意であれ、悪意であれ、好意であれ、ね」
 梅月は小首を 傾げてにこりと微笑んだ。
 邪気は欠片も感じられないが、その底は見えないほど暗く澱んでいる。
 しかし御門は平然とうなずいた。
「承知しております」
「なればとく去ね。この間言った通りに必要な時に力は貸してやろう。僕はそれ以上の譲歩はせぬ」
「恐らく私めの策を見ていただければ、お気を変えていただけるものと存じます」
「くどい!」
 どこまでも慇懃無礼な御門の態度に、梅月は癇癪を起こす。
「ならば望み通り消してくれようぞ」
 と、梅月は自らの封印を外すべくいくつかの印を切る。
 その時である。
「頼もう」
 結界の中に響いた低い声に、梅月の手が止まった。
「まさか…」
「六合、天空共に無事のようですな」
 御門の言葉も耳に入らぬ風で、梅月は大きく目を見開き、その名を呼んだ。
「弥勒!?」

十九

十七

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