執着 十九



 その刹那。
 六合と天空に左右を挟まれた弥勒と、その背後に弥勒の着物を掴んだ桔梗と奈涸が結界内に現れる。
「遅くなりまして申し訳ありません」
 六合は優雅に腰を折る。
「弥勒、どうして!」
「ああ…」
「動くな、弥勒万斎」
 弥勒が重い口を開こうとしたが、御門が鋭く制する。
 途端、弥勒は動きを止めた。
 仕方なく、奈涸が説明する。
「先生の姿と文で罠をかけられたんですよ」
「君は止めなかったのかい?」
 明らかに不快と顔に書いて問われて、奈涸は肩を竦める。
「先生の文を隠れ蓑に、手引きする呪印を結界の中に入れられてしまいまして。こちらが動かなければ、この神将達が呪印を足がかりに村に侵入しかねなかったので、致し方なく」
「それがお前の策か」
「御意」
 柳眉を逆立てる梅月に、御門は小さくうなずいた。
 村を盾に取られては、梅月がいくら動くなと言っても彼らは動かざるを得なかっただろう。
 しかも自分が書いた文を使われたとあっては、自分の覚悟にばかり気を取られた梅月の落ち度ではある。
 怒りの持って行き場がないだけに、梅月の怒りは深い。
「貴様…っ」
 ぎりぎりと音が聞こえるほど歯ぎしりをする。
 しかし、御門は表情を変えることなく言った。
「今、この者の生殺与奪の権は私にあります。人の命などはかないもの、術など使う必要もありません」
 弥勒の首筋に、天空が刃を擬した。
 とっさに桔梗は符を取り出し、奈涸は何気ない風を装いながら、放たれる寸前の矢のように力をためる。
 しかし。
「騰蛇」
 御門が神将の名を呼ぶと、桔梗と奈涸の前に武装した神将が現れ、弥勒への視界を遮る。
「そのままお下がりなさい。下がらねばどうなるか分かっていますね」
 御門の言葉と同時に、天空が無表情に立ち尽くす弥勒の首筋に刃を押し当てる。
 刃の先に沿って、朱の筋が浮き出す。
 さっと梅月の顔色が変わる。
 桔梗は悲鳴を噛み殺し、奈涸はさすがに表情は変えなかったが、弥勒から視線を外さぬまま、桔梗をつれて後退する。
 まだ皮一枚のこととは言え、相手は感情を持たぬ神将だ。
 命ぜられれば迷わず弥勒の首を落とすだろう。
 その手を止めさせるには、とりあえず御門の要求を呑むしかない。
「く…っ」
 梅月は握り締めた拳を震わせる。
 形勢を完全に逆転されたことに気がついたのだ。
「さあ、いかがなさいますか、我が君」
 そして御門も恐らく、梅月が気づいたことに気づいている。
「これでもまだ否とおっしゃられるか」
 にたり、と、狂気の色を瞳に閃かせて、笑った。
 弥勒の首筋からゆっくりと、だが、確実に赤い血が滴るのを、梅月は食い入るように見つめる。
 梅月は、自分自身を人質とした。
 御門には梅月自身が必要なのだから、いくら口で力ずくと言ったところで梅月を傷つけることは出来ぬし、術で梅月を傀儡とすることなど出来ようはずもない。
 梅月と御門の間だけで話が済めば、何とか自分の意思を押し通せるはずだった。
 だが、弥勒が御門の手に落ちたことで、立場が完全に逆転した。
 梅月が家に戻らないのは、自分を含めた一族にほとほと愛想が尽きていることもあるが、弥勒を傍に置きたいがためでもある。
 御門の脅しに屈せず弥勒を殺されては元も子もないが、かと言って、弥勒を助けて縁を切らされては本末転倒も甚だしい。
 裏を返せば、御門にとってはどちらに転んでも目的を達することが出来るということだ。
 ――弥勒を抹殺し、梅月の執着の源を断ち切れる。
 否と言った場合は勿論、是と言って梅月の口からもう会わぬと言わせれば。
 言霊遣いの梅月が口にしたら、その瞬間に成約となる。
 そうなるように誘導されたとは言え、口から出してしまった言葉を梅月から反故にすることは出来ない。
 それは、弥勒と永遠の決別を意味する。
 梅月は薄い唇を噛んだ。
 その視界の隅で奈涸が隙を窺っているのも、更にその影で桔梗が指先で何か印を切ろうとしているのも気がついたが、恃むことは出来ない。
 そもそも自分以外のいかなる術も跳ね返すように結界を張ったのは梅月である。
 梅月自身に向いていなければ多少は使えるはずだが、神将を打ち返すほどの術は無理だ。
 江戸の守りを定められた奈涸の玄武の力はまた別だろうが、騰蛇に見張られている今は動くこと自体が難しい。
 名を取られた弥勒自身は動けるはずもなく。
 最後の手段を使うしかないのだろうかと、懐へ手を伸ばしかけると、御門が鋭く制する。
「動けばこの面師の命はありませぬぞ!」
 梅月は鋭く舌打ちして手を下ろした。
 そんな梅月を、御門は容赦なく追い詰める。
「さあ、是か、否か。お答えを」
 梅月は御門を睨みつける。
 視線で人が殺せるものなら即死しそうな視線だったが、御門は薄笑いさえ浮かべている。
 かっと目を見開き、切れるほどに唇を噛み締め、そうして、口を開いた。
「…分かった。お前の最後の条件を呑もう」
 梅月は瞼を閉じ、全身から力を抜いた。
 自分のために玉の緒を断ち切らせる決断など、出来ない。
「今生ではもう二度と会わぬ。だから、弥勒を放せ」
 梅月は身を切られる思いで、告げた。
 声が、震えていた。
 ここで決別することを選んでも、今生でもう一度、一目見ることぐらいは叶うかもしれない。
 しかし、死なせてしまえばもう二度と垣間見ることも叶わないのだ。
 思うことすら、許されないだろう。
 誰よりも、自分自身が許せない。
「先生…」
 桔梗が掠れた声で呟いた。
 その声が聞こえているのか否か、梅月は六合と天空へ向けて払うような仕草をする。
 その仕草は、いかにも投げやりだ。
「さあ、早く弥勒を放せ」
「よい」
 指示を仰ぐように御門を見た六合と天空へ、御門がうなずく。
 しかし、天空が弥勒の喉元に押しつけていた刃を収めたが、特に離れようとはしない。
 騰蛇の背後から桔梗が駆け出す。
「あんた達、最後の別れぐらい気の済むまでさせておあげよっ」
「吾子様?」
 桔梗が、機微を理解出来ない六合と天空の服を掴んで下がるのと入れ替わりに、梅月が弥勒の前に立つ。
「弥勒…」
 対する弥勒は、神将達とさして変わらぬ無表情だ。
 もっとも、動こうにも縛られた状態ではどうしようもないのだろう。
「もう二度と会うことはないだろう」
 気丈に告げるその頬を、透明な涙が一筋伝う。
 弥勒はただ静かに見つめている。
 弥勒は梅月のことを忘れるだろうか。
 忘れるに違いない、忘れてしまえばいいと、梅月は思う。
 きっと梅月は朝な夕なにその面影を見るのだろうが。
 だから梅月は、指先で涙を拭い、弥勒を見つめた。
 その姿をけして忘れぬように。
 弥勒は何も言わなかった。
 それが、御門に縛られている故なのか、そもそも何も言う気もなかったのか、梅月にも判然としない。
 弥勒にとって、自分は多少特別な存在であった自負はあるが、それでも所詮、彼が成す面とは比べ物にもならぬ吹けば飛ぶ程度のものだ。
 動けたとしても何も言わなかっただろうと、梅月は思う。
 そう、思うことにした。
「さようなら。どうか元気で」
 弥勒の姿形を瞼の裏に焼き付けて、そうして、背筋を伸ばす。
「御門」
 梅月は弥勒に踵を返し、全ての感傷を振り切るように凛と呼んだ。
 これからは心の一部を、ことによると大部分を殺して生きていくことになる。
 もう二度と涙を流すことはないだろう。
 そう思い極めて屋敷へ歩を進めようとした梅月だったが、不穏な気配に足を止めた。

弐十

十八

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