「こんなとこで座り込んでたら日射病になるよー?」
自らの思考に深く沈み込んでいた神谷が慌てて顔を上げると、大きな二つの影に覆われていた。
圧迫感に思わず体を引いて、フェンスに頭をぶつけてしまう。
別に痛くはなかったが、そのまま動けなくなる。
「どうしたの?」
固まっている神谷に、ひょろ長い方の影の主、赤堀が首を傾げる。
「……髪が絡まった」
沈黙の後のカミングアウトに、笑いが弾ける。
「だから切れっつってんだよ。夏に何が暑苦しいって、お前の髪が一番うざいんだ」
ツボに入ったのか腹を抱えて笑い転げる大塚へ、絡まった髪を赤堀に外してもらいながら神谷は、スパイクを脱いで投げつけた。
スパイクはきれいな放物線を描いて、大塚の広い背中にヒットした。
「神谷…」
「あー、ワリィ。手が滑った」
全く悪いと思っていません、と、顔に書いて、神谷が言う。
対する大塚は口から火を吹かんばかりの勢いで怒鳴る。
「刺さったらどうしてくれるっ」
「安心しろ、お前なら刺さる前にスパイクが壊れるわ」
「強、外さんでいいっ。そのまま日干しにしとけっ」
「もー、そんな訳にはいかないでしょー。はい、外れたよ」
「どーも」
と、スパイクを拾うために立ち上がった瞬間、怒涛のように駆け寄ってきた大塚のスリーパーが神谷に極まる。
「くらえ、天誅っ」
「ええい、離せっ」
「もうやめなよ、二人共」
じゃれ合う神谷と大塚に、頃合いを見て仲裁に入る赤堀。
これも神谷と白石のどつき漫才と並ぶ掛川サッカー部名物である。
もちろんこの場合、不用意に怒らせると一番怖いのは赤堀なので、神谷と大塚は素直にじゃれ合いをやめた。
その途端、神谷の右膝が自己主張を始める。
「イテテ…」
うめく神谷に大塚が肩を貸して座らせ、赤堀がスパイクを拾って渡す。
「はい、どうぞ」
「サンキュ」
神谷がうつむいてスパイクを履き直す。その丸まった背中に、赤堀が言った。
「ちょっとは元気出た?」
「お前がしおらしくしてると槍でも降ってきそうで気色ワリィんだよ」
大塚が追い打ちをかける。
だが、神谷は乾いた声で笑った。
「バレたか」
「バレいでか。あんなロコツに落ち込んでて」
大塚がギョロリと目を剥いてから、すっと視線を逸らした。
「ショッパイ試合見せて悪かった」
「予選の四回戦ぐらいでいい試合してる場合じゃないんだよね」
見れば赤堀も厳しい顔をしている。
昨日は、神谷抜きのオーダーで試合をした。
3―0というスコアはけして悪くはないが、本来であれば、もっと点差が開いていてもおかしくないだけの実力差が、対戦相手と前年度準優勝チームの『掛川』にはあったはずだった。
そして点差以上に、展開が問題だった。
確かに、ゲームメイクのほとんどを普通ならディフェンシブハーフである大塚に任せたなら、ある程度、ディフェンシブな展開になるのは仕方ないかもしれない。
だが、元々大塚はFW出身だ。
ディフェンスよりはオフェンスの方が性に合っている。
そして何より『掛川』の持ち味はオフェンスであり、その分ディフェンスは犠牲になっていることを、一番よく知っているのも大塚だ。
そうでなければFW出身の大塚が、ディフェンシブハーフに定着することなどなかったろう。
そんなチームがディフェンス優先の展開を選べば、どんなボロが出るか分からない。
ましてチームの要、神谷がフィールドにいないのだ。
自陣でボールを回すのは自殺行為に等しい。
けれど、現実には守りが優先された。
特に点が入った直後は、自陣での時間稼ぎのパス回しが目立った。
ベンチから神谷も指示を出していたにも関わらず、だ。
そして、試合後にあちこちから聞こえた言葉。
『神谷さえいれば』
『神谷がいないから』
それは、掛川のロッカールームからさえ聞かれた。
それを聞いた瞬間、大塚はキレかけた。
自分自身の力量不足を指摘されたなら、納得もした。
けれど、チームメイトまでが、まるで人事のように言うのが許せなかった。
誰の為の『掛川』なんだと、怒鳴りかけた。
しかしその言葉は、音になる前に飲み込まれた。
「神谷…」
怒鳴ろうとした大塚の隣で、赤堀が呟く。
慌てて振り返ると、足を引きずりながらも音を立てないよう静かに、ロッカールームを出て行く神谷の背中がドアの向こうに消えた。