訪れた静けさに揺れ動く歌声は
臆病な反逆者たちの乱れだした絆
「うー、もう食えねえ」
言いながら、内海はデザートのメロンにかぶりついた。
ちなみに皿の上にはまだ8切れ、メロンが残っている。
「まあ、これだけ食えばなあ」
斉木もメロンをスプーンですくって、テーブルの上を見回した。
机の上には空になった焼肉の皿が山になっている。確実に2桁の枚数がある。
1時間で980円の食べ放題。元を取ったどころの騒ぎではない。こんな客ばかりだったら、店は商売上がったりだ。
実際、店員は冷たい視線を投げつけているが、食べ残すと1皿につき500円取られてしまうので、そんなものには気も散らさず、内海は3切れ目のメロンに手をつけた。
内海は甘いものでさえなければ、大食漢ぞろいの仲間内でも一番食べる方だ。
だから会えば、食事は大体食べ放題だとか、格安のファミレスだとかになる。
昔から、変わらない光景だった。
「でも、お茶ぐらいは飲めるんだろ」
「ん? ああ」
「お前、一っ言もしゃべんないで食うんだもんなー」
「そりゃ、食べ放題なんだから、食っとかねーと、損じゃねーか」
内海は食べ終わったメロンの皮を放り出した。どうやら500円は払わずに済みそうだ。
事実として、斉木は内海が甘いもの以外で食べ残すところを見たことがない。
結局、ジャスト一時間で会計を済ませて、二人は焼肉屋を出、近くのコーヒーショップに入る。
「で、どうよ、最近」
「おかげさまで元気よ〜」
と、言いながら、内海は腹ごなしと称してアメリカンサンドをかじる。
「ほんっとによく食うよな、相変わらず」
斉木は食傷気味の表情で、ロイヤルミルクティを口に運んだ。一体この体のどこについているのだろう、と、思う。
だが、こうして二人でいると、変わらない、と、思う。
4年前も。
同じように会っていた。
加納は、いない。
4年前も、いなかった。
静岡三巨頭と呼ばれながら、加納だけは違っていた。
もちろん、斉木にしろ内海にしろ、並より上だと言う自負はある。
だが、サッカーを志す者の中で、ずば抜けた才能があるかと言えば、否。
それは誰よりも自分が分かっていた。
三巨頭と、呼ばれたがゆえに。
加納や岩上や。
久保や、神谷のように。
超一流の才能は持たずに生まれたことを知るぐらいの才能は、二人とも持ち合わせていたから。
だから、二人は4年前、進学の道を選んだ。
あの時も、『進路情報交換会』と称して、くだらない話をした。
その意味で、二人はよく似た立場にあったのだ。
あの時、プロの道を志せば、可能性はゼロではなかったろう。
だが、その道は選ばなかった。
――選べなかった。
人目にはそうは思わないかも知れないが、進路を決めなければならないあの時期、二人は自信がなかったのだ。
プロとして、続けていく、自信が。
後一年、すでに伝説と化したワールドユースが早ければ、とは正直思う。
そうしたら、彼らは違う道を選んでいたかもしれない。
いや、あの時でなければ。
掛川と言うチームが現れ、全てをひっくり返した後のユースに参加したからこそ、今の自分達はあるのだ。
それは変えられない、彼らの宿命であったに違いない。
「で、何チームからオファーあんの」
アメリカンサンドを片付けて一息ついた後、内海がようやく本題に触れた。
「今のとこ、4チーム」
「げ」
ガチャン、と、音を立てて、内海は乱暴にコーヒーカップをソーサーの上に戻して叫んだ。
「俺だって、3チームなのにっ。斉木なんかに負けたのか、俺はっ」
「内海、お前な…」
あまりと言えばあまりな言い草に、斉木はこめかみを押さえる。
これもいつもの光景だ。
だが、苦々しげな表情は、いつもと違っていた。
「俺の居場所が本当にあるチームは一つもないんじゃ、いくつ声かけられたって同じだよ」
「まあな」
「って、ことはお前も?」
「そんなちゃんとしたチームばかりだったら、今頃もうちょっとマシになってるさ」
ブレンドを呷った内海は、口元を歪めて笑った。
「でも、諦める気はねーんだろ?」
「そりゃぁな」
言われて、斉木は肩を竦める。
「チャンスは誰にでも公平に来るもんじゃないからな。転がってきたチャンスは、その場で捕まえないと」
そう、人生は公平ではない。
与えられる者は、チャンスなど何度だって転がり込む。
だが、斉木のような凡人は、数少ないチャンスはその場で捕まえなければ、その次はいつ来るか分からないのだ。
けれど、恵まれている者がよりよい幸運を待ち続けて、結果的にチャンスをつかみそこない、数少ないと分かっているから、がむしゃらにつかんで成功する者もいる。
人生、一寸先はまさに闇である。
「しょうがねーよな。4年かけても諦められなかったんだからよ」
内海は、天を仰いだ。
「そうだな。やっぱ、サッカー好きだから」
斉木は軽く笑って、それから表情を改めた。
「サッカーで食える道があるなら、俺はやっぱりその道を選ぶしかないんだって、ようやく分かった」
「そりゃ俺も一緒。…誰だって、そうだろ」
好きだから。
とてつもなく単純な理由。
でもそれは、加納達だって同じはず。
好きでなければ、続きやしないのだ。
例え、どのチームも自分達を必要としていなくても。
ビジョンを持つチームが少なかったとしても。
変えればいい。
自分が。
それはサッカーの才能だけではない部分。
そう言う力は、あるはずだ。
伊達に昔からキャプテンなんてやってきた訳じゃない。
卑屈になるのではなく、自らの能力は正しく認識しなければいけないのだ。
「で、ある程度目星はつけてるんだろ?」
「お前だって、決めてんだろ」
斉木の言葉に、内海は人の悪い笑みを浮かべる。
「お前が教えたら、教えてやるよ」
「…参りました」
「俺に勝とうなんざ、百年早いわ」
ケケケ、と、内海は世の中の女が夢見る容貌からは想像も出来ないような、妙な笑い声を立てた。
変わらない内海に、斉木は少しほっとする。
「まあ、聞かなくったって、お前の考えることなんざ読めるけどよ」
…多少、心臓に悪かったとしても。
「…でも、まだ言わないぞ」
「俺も言う気ねえよ。もうちょっと、煮詰まって来てからだな」
情報の交換はするだろう。前だってそうだった。
それでも、最後に決めるのは他の誰でもない、自分だ。
「ま、情報の交換はしてくれよな」
斉木は小さく笑って見せる。
そんな斉木の前で、内海が何とも言いがたい顔をした。
一言で言うなら、
「ヘンな顔してるぞ、内海」
と言うことだ。斉木が素直な感想を述べると、内海は大きな溜息をついた。
「お前に言われたくねえよ……俺はお節介とか、嫌いなんだよ」
「そんなこと、知ってる」
斉木は苦笑する。今更、だ。
だが、内海は何故かこだわる。
「他人事なんて、面白がることでしかなくて、手なんか絶対に出したくねーんだ。くっそ、マジで腹立ってきた」
「どうしたんだよ、内海?」
「2度とこんなこと言わねーからな。耳の穴かっぽじってよく聞けよ」
ビシィッと、指を指されて、斉木は思わず体を引く。
「何だよ」
すると、内海はまじめな表情になって、言った。
「お前、芹沢に何にも言ってないんだって?」
「は?」
「うるせーんだよ、アイツ。愚痴られるこっちの身になってみろ」
「何を…」
斉木は本気で内海の言葉の意味が分からなかった。
その表情に、内海のあまり長くはない――斉木が相手の場合は特に――堪忍袋の緒が切れる。
「だから、オファーのこととか、見事に一言も話してねえみてえじゃねえか」
「アイツ…そんなこと言ってんのか」
斉木が苦虫を噛み潰したような表情になる。
よりにもよってお前に、と、呟くと、
「俺だからだろ。こっちだって迷惑してんだよ」
内海も同じような渋い表情になった。
「何で…」
「お前、バカ? それともアイツのこと、同じぐらいバカだと思ってんのか?」
「あのな…バカバカ言うな」
「だって、バカなんだからしょーがねーだろ」
内海はきっぱりと言ってのける。
「すっげー認めんのやだけど、斉木の進路情報を知ってそうで、お前らの関係も知ってて、電話で会話できるのって、俺しかいねえんだよ」
加納に電話かけて埒があくと思うか? と、問われれば、首を横に振るしかない。
極限まで言葉をケチる加納にとって、言葉のみで意志を伝達しなければならない電話は天敵だ。
「だからってお前に…」
斉木は皆まで言わず言葉を飲み込んだが、内海には分かったようだ。
「俺が相手ならそうやって当り散らすこともないだろう、ってとこまで、読んでるだろうな」
世話好き親分肌の斉木に対して、ズケズケモノを言える人間は、現実に少ない。
「それとも、そんなにバカがいいのか」
「そうじゃなくてな…」
「アイツはバカじゃないけど、ガキなんだよ」
内海は何かを思い出したように、整った眉をしかめた。
「『俺には何も話してくれない』とか、俺に向かって拗ねまくって、るせーんだよ」
「だから話してやれってか」
斉木も男らしい眉を寄せる。
出来るはずがなかった。
芹沢に、オファーのことで相談なんて。
だって――。
「あいつに相談したところで、何も分からない」
そんなことは、内海にも分かっているはずだ。
芹沢は、斉木や内海とは次元が違う。
日本人離れした、恵まれた体格。
その体格に見合うスタミナとスピード。
卓越したテクニック。
センスの点では、トップではないかもしれないが、トップクラスであることも間違いない。
天才、だ。
ついでに言うなら、高校一年で思いきり痛い目を見た分、努力も忘れない。
ウサギが居眠りをしなければ。
カメは抜くどころか、追いつくことも叶わない。
斉木が唯一芹沢に勝てるのは、サッカーのキャリアだけだ。
でも、それも――。
プロとしてのキャリアではおくれを取った。
プロとアマは似ていても、全然違う。
斉木が、サッカーで芹沢に勝るモノは、もはや一つとしてない。
斉木の悩みや鬱屈の全て、芹沢に理解できるはずがないのだ。
斉木には、芹沢の天才ゆえの悩みを、理解できないように。
どんなに分かろうと勤めても、越えられない壁は、ある。
そう口にはしなかったが、内海には分かるはずだ。
だが。
「やっぱ、バカだな」
内海はばっさりと切って捨てた。
「内海…」
「誰が相談しろっつったよ」
「でも…」
「芹沢は知りたいだけだ。口を挟むなと言えば、何も言わねえよ」
アイツはガキだけど、バカじゃない、だけどガキなんだよ、と、内海は繰り返した。
「とにかく、うるさくて仕方ねえんだよ。これ以上、俺に愚痴で電話をかけて来るな、今度くだらねえ愚痴で電話かけてきたら、ただじゃおかねえって言っとけ」
「俺を脅すなよ…」
「俺が言っても効き目がねえんだよ。ああ、やだねー、らぶらぶやってるヤツらは。人の言うことなんざ聞きやしねえ」
ケッ、と、吐き出した言葉は、事態を把握している者ににしてみれば、とんでもない内容で。
「内海、どの面下げてそのセリフ…」
「この面だ。見たきゃ見ろ」
と、内海は男にしてはキレイな顔を示す。
斉木は、白旗を揚げた。
思えば、口で内海に敵った試しなどないのだ。
第一、芹沢と付き合っていることを非難の一つもせずに付き合ってくれるだけでも、斉木としては感謝しなくてはならないのだろう。
自分は、変わってしまったから。
変わったことを後悔する気もないが、変わらない内海に安堵する。
「よく言っておきます」
「最初からそーいやいいんだよ」
ふんぞり返る内海へ、思わず斉木は口を滑らせる。
「それにしても、随分後輩思いなんだな」
「何か言ったか」
「いーえ、何も」
内海に凄まれて、斉木は慌てて首を横に振った。
その様に満足したのか、
「ま、いい」
と、内海は言って、席を立った。
「そう言うことだ。俺にこれ以上夫婦喧嘩で迷惑かけんな」
「内海っ」
恐ろしいことを言って、内海はすたすたと行ってしまった。
心臓がバクバクしている。思わず周囲に視線を走らせてしまった斉木を、小心者とは責められないだろう。
責められたところで、反論の余地はない。実際、小心者だと言う自覚はあるのだ。
芹沢を失うのは、何より怖い。
「だから、言えないんじゃねえか…」
繰り言を告げて、斉木はレベルの違う人間だと、芹沢に気づかれたくないから。