トレーナーの進言は聞き入れられた。
 事実を知っている者達は、誰もが限界を感じ取っていたはずだ。
 後は誰かが背中を押すだけ――そうして、トレーナーが最初に声を上げただけなのだ。





 だが、今後の試合で斉木を全く抜きにしてシーズンを勝ち抜けるのかと問われれば、否。
 それもまた、誰もが知っている事実である。





 その結果、玉虫色の妥協案が捻り出されたようだ。
 次の試合までは完全休養、その次からは斉木の怪我とチームの状態を見ながらサブとして起用するプランだ。
 それを、本来であればオフであるはずの試合の翌日に呼び出された斉木は、監督とコーチ、トレーナーが居並ぶ中で告げられた。
 呼び出されたのは斉木だけだったのだが、一人で出かけようとした斉木に無理矢理ついて来た芹沢は、斉木の予想に反して隣でおとなしくしている。
 監督が告げるプランをトレーナーは渋い顔をしながら聞いていた。
 トレーナーとしては、サブとしての起用も反対なのだろう。
 そんなトレーナーの様子は視界に入らないそぶりで、監督は、斉木をファームに送るつもりはないことを明言した。
 首脳陣にしてみれば、斉木はベンチにいるだけでも価値のある存在だ。
 味方以上に、敵に対してプレッシャーを与えることが出来るし、ピッチに立てば、それだけで試合の雰囲気を変えることさえ出来る。
 このチームにとって、斉木はそういう選手なのだ。
 トップから落とすことなど考えられるはずもない。
 監督達とトレーナーの目の下の隈が、昨夜の激論を物語っている。
 どちらがより不本意な結果であるのかは、その表情を見ればあからさまだが。
 斉木はちらりと隣に座る芹沢に視線をやった。
 芹沢は、全くの無表情だった。
 非の打ち所もない顔でそんな表情をしていると、まるでよく出来た人形のようで、斉木にさえ何を考えているのか読み取れない。
 だが、それもどうでもいいことだった。
 斉木の気持ちはとっくの昔に決まっているのだから。
「休みません」
 斉木は、監督のプランを一蹴した。
 ミーティングルームがざわめきに包まれる。
 だが、斉木は気にかける様子もなく、むしろ笑顔さえ浮かべていた。
 人好きのする、誰もが思わず釣り込まれてしまう笑顔だ。
 斉木が多少強引なことを言っても、この笑顔で皆騙されてしまうのだ。
 この笑顔が自分の武器の一つであることを、今の斉木はよく分かっている。
 使えるものなら、何でも使う。
 愛想笑い如きで斉木のプライドは揺るがない。
 いや、プライドがどうこう言っている場合ではないのだ。
 斉木にとって、怪我の再発は最も恐れていた事態ではあったが、予想の範疇でもあった。
 内海にも指摘されていた。
 J2のスケジュールがJ1よりも過酷であることも、諸々の条件がJ1に劣ることも、全て分かっていたことである。
 全てを覚悟の上で、このチームに移籍してきたのだ。
 今の、悪く言えば斉木に頼りきったチーム状態にしてしまったのは、自分自身だと斉木には自覚がある。
 分かっていて、そうしたのだ。
 とにかく早く、芹沢が自由に動ける体制を作らなければならなかった。
 チームをまとめるのはお手の物だ。
 伊達にずっとキャプテンマークをつけてきた訳ではない。
 斉木は一番手っ取り早い方法として、自分を中心にチームを固めてしまうことを選んだ。
 このチームに移籍してきてまだたったの1年だ。 
 斉木の目論見では、今年度に昇格を決め、実際にJ1で試合をするまでのオフの間に、もう一度チームに意識改革を求めるつもりだった。
 それでも充分に早い方だ。
 チームの基盤が1年やそこらで出来上がるものではないことは、けして長くはないJリーグの歴史でも歴然としている。
 斉木は、今更泣き言など言うつもりはないし、引き下がる気もない。
 最初から、分かっていたことなのだ。
 一番大切なことは、芹沢を本来あるべき舞台に戻すこと。
 そのために、自分の選手生命が縮む可能性についても、腹を括ってから来たのだ。
 今更がたがた言われる筋合いではない。
 それに、もう斉木は自分の役割と言うものを理解している。
 『つなぐ』こと。
 試合においても、日本サッカーの歴史においても。
 それが斉木に課せられた役割であり、今はそういう役割を担えることを誇りにも思っている。
 斉木はけして、芹沢のような、替えが利かない存在ではない。
 昔は、そういう唯一の存在を妬み、そして唯一の存在になれない自分を蔑んだこともあった。
 けれど、移籍し、懊悩する芹沢を見ていて気がついたのだ。
 芹沢は唯一つ『つなぐ』ことだけが出来ないのだ。
 それは考えてみれば当たり前のことだ。
 神に愛でられた天才は、誰にも真似が出来ないからこそ唯一であり、誰にも真似出来ないことを『つなぐ』ことは出来ないのだ。
 あの久保と神谷でさえ、『つなぐ』ことは出来なかった。
 その事実に気がついて以来、斉木は『つなぐ』役割を自らに科した。
 それと意識して努力すれば、磨いた技術は『つなぐ』ことが出来るのだ。
 思いも。
 斉木自身、過去の先達が営々と築いてきた歴史の上に存在している。
 その歴史の土台に一掴みでも土を盛れたなら、斉木の思いは残る。
 例え『斉木誠』の名前は消え去ったとしても。





 だから斉木は、きちんと『つなぐ』ことが出来るのならば、芹沢のための舞台を整えられるならば、左膝が壊れることも厭いはしないのだ。
 その覚悟は、誰にも――芹沢にさえ語るつもりはないが。





 だが、詳細は分からずとも、斉木が覚悟を決めていることは、恐らくこの場にいる全員に伝わってしまっていたのだろう。
 今にも暴発しそうな緊張を孕んだ沈黙を、叩き壊したのはトレーナーだった。
「斉木! お前の膝は、とっくに限界超えてるんだ! このまま試合に出続けたら、次か、その次ぐらいで完全にパンクする。それはお前が一番よく分かってるだろ!」
 会議卓に拳を叩きつけ、声を荒げたトレーナーの言葉に、無言のままだった芹沢が弾かれたように顔を上げた。
「次は休め。 これは命令だ」
 しかし、
「休みません」
 斉木は静かにトレーナーの言葉を突っぱねた。
「…っ!!」
「今は首位とは言っても、5位ぐらいまでのチームはそれほど実力差はありません。ここで気を抜けば、すぐにひっくり返されます」
 斉木はトレーナーに皆まで言わせず、冷静に告げる。
「いくら芹沢がいるとは言っても、芹沢と他のレギュラーの実力差が大きすぎる今、フォーメーションの変更はマイナス要因です。…俺は、このチームをJ1に昇格させるために来たんです。たかが俺の膝のために、チームのマイナスになる変更は認められません」
 長口舌の後に、斉木は口を一文字に引き結んだ。
 その面からは既に作り笑いも消え、例えどれだけ責め立てられようと心変わりはしないとばかりの表情だ。
「さい…っ」
 それでも、何とか説得を試みようと体を乗り出したトレーナーを、監督が手を挙げて遮った。
 そして。
「斉木君、休みなさい」
 それまで、斉木の休養を渋っていた監督とは思えない、断定的な口調だった。
「監督?」
 訝しげな斉木の呟きを聞き流して、監督はあくまで冷静に語り続ける。
「斉木君は私には与えられなかった力を我々のチームに与えてくれ、私の目を開かせてくれた。その手腕を尊敬さえしている。だが、だからこそ、君が自分の選手生命を蔑ろに考えていると知っては、私は君を使えない」
「な…っ」
 今度は斉木が椅子を蹴倒して立ち上がったが、監督は意に介さない。
「J1に昇格することは重要なことだ。私もそのためにこのチームにいる。それはこのチームに属する誰もが同じことだ」
 監督の静かな、だが、強い言葉に、全員が静まり返る。
 激昂していたトレーナーさえも言葉を失っていた。
「だが、斉木君が自ら選手生命の危機を自覚していて、それでも昇格のために選手生命を断ち切ってまで無理をすると言うのならば、私は斉木君を止めなければならない。私は監督である以前に、人であるからだ」
 J1昇格とは、誰かの選手生命と引き換えにしてまで成しえてはならないことだ、と言って、監督は口をつぐんだ。
 ミーティングルームに沈黙の帳が降りる。
 トレーナーは静かに腰を下ろした。
 一人立ち上がったままの斉木は、唇を噛んで次の言葉を捜しているようだった。
 普段は人当たりのよさで忘れがちだが、斉木は頑固であると同時に、かなり勝気でもある。
 一言も言い返せないことが相当悔しいのだろう。
 監督を睨む目に殺意にも似た光が宿っている。
 しかし、斉木よりもはるかに経験を積んでいる監督は海千山千である。
「監督としても斉木君を失う訳にはいかない。もしも今年昇格できるとすれば、J1でこそ、斉木君の力が必要だ」
 とどめに近い監督の言葉に、それでも斉木は必死で反論を繰り出そうとした。
「でも…っ」
 が、
「斉木さん」
 呼ばれた斉木の目と見上げる芹沢の目が合う。
 斉木が固まる。
 芹沢は膝に手を置いているようだったが、机の下で拳を握っているのだろうか、肩に力が入ってるように見える。
 何より、芹沢は冷静を装っていたが、その目が、今にも泣き出しそうだった。
 その目を直視してしまった斉木は、心の底から後悔した。
 何を言われようと、殴ってでも芹沢を置いてくるべきだったと。
「斉木さんが休んでいる間は、俺がどうにかします」
「芹沢…」
 そんなつもりではなかったのだと、心の中で叫ぶ斉木の前で、芹沢が深々と頭を下げた。
「だから、休んで下さい。お願いします」
 斉木が体を張ってJ2に来ることになった理由そのものである芹沢に頭を下げられてしまっては、もう強弁出来ない。
 心の声は音にならず、ただ斉木はその場に立ち尽くしていた。













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