結局、ミニゲームは5−1で、斉木にコントロールされたスタメンチームの圧勝だった。 特に、芹沢はミニゲームだと言うのにハットトリックである。 むしろ今までよりずっと運動量が少なく見えるのだが、シュートの精度が全然違った。 余計なことを考えず、FWとしての動きに専念できたからだとは、芹沢が一番よく分かっている。 「斉…」 「斉木さん!」 しかし、芹沢が駆け寄る前に、右のオフェンスハーフがベンチに引き上げる斉木に声をかける。 「すごかったです、勉強になりました!」 芹沢よりも若い彼は、頬を紅潮させてまくしたてる。 「斉木さんのパス、すごく次の動作に繋げやすいんです! 無駄に動かなくってよくって! あれが正確なパスなんですね!?」 「そんな怒鳴らなくても聞こえるぞ」 斉木は彼の頭にポンと手を置いた。 「す、すみません、でもっ。やっぱすごいんですねっ、どうしたらあんなパス出せるんですかっ?」 「俺が、これまでどれだけ練習してきたと思ってるんだ」 斉木は笑う。 「練習したら、俺も出来るようになりますか?」 「出来るさ、そのために練習するんだ」 気がつけば。 斉木が選手の輪の中心だった。 ミニ・ゲームが始まる前の冷たい空気など嘘のようだ。 「プレーの正確さだけはそう簡単には負けないぞ」 取りようによっては自意識過剰とも取れなくもない斉木の言葉に、 「斉木さん、お願いします、教えて下さい」 「あ、俺も」 本来、全員がサッカーが好きで好きで堪らなくて、上手くなりたかった人間ばかりだ。 自分の思い描いた理想と現実のギャップの埋め方が分からずに悩んでいたことも、同じだ。 それを、一人で背負ったり、訳も分からず八つ当たりをしていたり、その表し方はそれぞれであったけれど。 それが分かり、絡まった部分をほぐしてやれば、残るのは、もっとサッカーが上手くなりたいと言う一心だ。 そして、その上手くなりたいと言う思いを、彼らは絡まった部分を少しなりともほぐしてみせた斉木へ、絶対の信頼を向ける。 斉木について行けば、間違いはないのだと信じる。雛が親鳥を慕うように。 根は、サッカーが好きな気のいい青年達なのだ。 しかし、 「そんな焦るな。これから毎日なんだから。音を上げてもしごくからな」 斉木は声を立てて笑い、手近にいた選手の肩を叩く。その時、コーチから声が飛んだ。 「こら! ちゃんとクールダウンしろよ!」 「ほら、言ってる」 と、斉木は輪の中に入りそびれていた芹沢の腕を掴んで、歩き出す。 「クールダウン、付き合えよ」 「あ、はい…」 芹沢は言われるがままに斉木の後について行く。 アップの時とは逆に、上がったままの心拍数を下げるための緩いランニングの後、ゆっくりストレッチを行う。 左膝に故障を抱える斉木は、特に丹念に行っている。 クールダウンは各自行うため、終わった後はそれぞれクラブハウスに引き上げていく。 戻りがけに一人、入念にストレッチを行っている斉木に声をかけてきた。 「斉木さん、お先に失礼します」 「おう」 芹沢に補助をさせてストレッチをしたまま、斉木が答える。 すると、 「失礼します」 「斉木さん…」 と、その後引き上げるほとんどが、斉木に挨拶を残して戻って行った。 芹沢は、整った眉を寄せ、厳しい面持ちで斉木を見つめる。 「ふーっ、終了」 ようやく斉木は満足がいったのか、体を起こして言う。 「すまないな、つきあわせて」 「いえ、俺は全然…」 珍しく、芹沢が言いよどむ。斉木に不思議そうに見つめられて、さりげなく視線をそらす。 そらした先にはクラブハウスがあり、勘違いしたのか斉木が言い出す。 「混んでるかな、シャワー」 「多分」 「もう少ししてから行くか」 「はい」 芹沢は小さくうなずくが、それだけで。 会話が途切れる。 ――しばらくの沈黙の後、斉木が動き出す。 「そろそろいいだろ」 芹沢は黙ってその後に続く。 入り口から覗くと、シャワー室には他の選手の姿はなかった。 「さすがに二人しかいないと広いな」 芹沢の目の前で、斉木が伸びをする。 そして。 フラリと、芹沢に倒れ込んでくる。 「さ、斉木さん!?」 どこか痛めたのでは、と、焦る芹沢の胸の中で、斉木が額に手を当てて呟く。 「疲れた…」 「え?」 聞き返す芹沢には答えず、斉木は目を閉じたまま深く息を吐いた。 本当に疲れているらしい気配を感じ取って、芹沢は斉木をベンチまで連れて行く。 「大丈夫ですか?」 「ん、大丈夫、一気に緊張が解けてクラッと来ただけだから」 心配で、思わず芹沢が顔を覗き込むと、さっきまでの精悍な表情からは考えもつかない、疲れた表情が広がっていた。 「ちょっと安心したら、一気に疲れが出てきて…家までもつかと思ったんだけど」 斉木は額に手を当ててもう一度溜め息をつく。 「安心て…」 「だって、あんなに飛ばしたのは久しぶりなんだ。全く、俺も偉そうによく言うよな」 少し恥ずかしげに、斉木は苦笑いした。 「ハッタリかましまくって、おかしかったろ」 そう言って、また、はあと息を吐き、隣に座る芹沢によりかかってくる。 「でも、時間をかけてられないから、仕方ないんだけどさ。もうあんなの俺のキャラじゃないんだよ…」 「…全然」 ボソリ、と、芹沢が呟く。 「ん?」 「全然おかしくなんかなかったですよ」 一度大きく息を吐き、覚悟を決めて白状する。 「むしろ、俺は斉木さんに嫉妬してた」 「は? 何でお前が俺に」 斉木は、寄りかかっていた芹沢から離れ、見返す。 その表情が、斉木の驚きが見せ掛けではないことを示している。 その自覚の無ささえ、今の芹沢の神経をかきむしった。 思わず、吐き捨てる口調になる。 「だって、斉木さんは俺が2年もかかって出来なかったことを、たった1日でやってのけたんですよ。俺は結局信頼されなかったのに、斉木さんは1日でチームの心をわしづかみにした。嫉妬もしますよ」 芹沢は視線を外して一気にまくしたてた。 そのままそっぽを向いてしまう。 恥ずかしくて、顔など見せられなかった。 きっと、嫉妬で醜く歪んでいる。 斉木は自分のために無理をしてくれたと言うのに、その斉木にまで嫉妬してしまう自分に、とてつもない自己嫌悪に陥る。 何て、どうしようもない人間だろうかと思う。 思わず目頭まで熱くなってきて、右手で顔を覆う。 だから、斉木がどんな表情をしているのか、芹沢には分からなかったが。 「バカ」 苦笑する気配が伝わってくる。 「ったく、俺なんかに嫉妬してどうするんだ」 と、頭を胸に抱き込む、その腕の温かさに、不覚にも涙が出てくる。 「俺は、正確なプレーは出来る。チームをまとめることも出来る。それだけはお前にだって負けたくない」 斉木にしては珍しく、強い自負を感じる言葉。 しかし、続いたのは溜め息だった。 「でも、それだけだ」 その言葉に、芹沢は弾かれたように起き上がる。 見ると、斉木は弾かれた腕をそのまま上げた恰好で、目を丸くしている。 「どうしてあんたはすぐにそういうことを言うんだ!」 そんな斉木へ、芹沢は素のままの怒りをぶつける。 だが、斉木はただ苦笑した。 「事実なんだから仕方ないだろう」 「だから、そうしたらそれが出来なかった俺は…っ」 「いいんだよ、出来なくて」 こつん、と、斉木は芹沢の頭を小突いた。 「お前が周りに合わせることなんてないんだ」 そんなのは意味がない、と、斉木は呟く。 「俺は正確なパスを出せるけど、それは優しいパスじゃない。ただ、正確なだけなんだ」 言いたいことが理解できずに首を傾げる芹沢の前で、斉木は小さく頭を振った。 「俺は、正確なパスは出せるけど、その先にある、創造性とか決定力って奴は、残念だけど俺にはお前達ほどなかったんだ」 それが、俺とお前の差だよ、と、斉木は言った。 その表情は、悟りを開いた者のように静かだ。 何の気負いも、恥じ入ることもなく。 斉木は静かに、だが、力強く語をつぐ。 「勿論、正確さだって誰にでも手に入れられるもんじゃない。創造性って奴がない分、正確さに磨きをかけてきたんだ、それだけれはそう簡単に負けやしない。それにサッカーって奴は、個人の能力だけで決まるもんじゃない。1足す1は2じゃないんだ」 覚悟だ。 斉木は、世界の広さも、天の高みも、そして己の限界も見極めて、その上で更に先に進もうとしている。 その先がどれほど厳しい茨の道で、傷を負うことが分かっていても、それでも斉木は、走れなくなるその日まで挑戦し続けるのだろう。 その覚悟の深さに、半ば呆然と見つめる芹沢の前で斉木は立ち上がり、芹沢の正面に立つ。 「俺はチームをまとめて、お前に正確なパスを出し続ける。それが俺の仕事だ」 馬鹿のように見上げる芹沢に、斉木は静かに右手を差し伸べ、問うた。 芹沢の覚悟を――。 「俺をJ1に連れて行くのは、お前だ、芹沢」 芹沢は。 笑った。 ほとんど泣きそうだったのだが。 「ホント、敵わないな」 斉木は本来であれば、J1で選手人生をまっとうできたはずだった。 正確なだけだと斉木は言うが、それが容易なことではないことを、芹沢は分かっている。 確かに天性のモノではないかもしれない。 だが、誰よりも多い練習で習得した能力は、けして斉木自身を裏切らない。 そしてその能力は、努力すれば誰でも手に入るようなものではないのだ。 斉木の実力は、J1の選手の中でも上から数えた方が早い。 なのに、汚す必要もないキャリアを汚してまで、斉木は自分に手を差し伸べてくれた。 「そりゃあ、惚れるよなあ、俺も」 口の中だけで呟いて、芹沢も立ち上がり、うなずく。 「必ず」 それは誓いだ。 「必ず俺が、斉木さんをJ1に連れて行きます」 けして違えることはない、誓い。 「頼むぞ、魔術師」 斉木の言葉は、芹沢に、あるべき形を思い出させ、行くべき道を指し示す。 空を飛ぶことしか知らなかった芹沢は、空を塞がれ後、道も見つけられずにいた。 斉木の示す道はけして平坦ではなく、むしろ茨の道である。 けれどどれほど道のりが厳しかろうと、芹沢はその道を切り開き、歩みを進めなくてはならない。 斉木はずっと隣で道を照らし続けてくれるだろう。 そして、その道の先には。 辿り着くまでにどれほど傷ついたとしても、また新たな空が広がっているのだから――。 芹沢は、差し伸べられた右手をしっかりと握った。 「一緒に、行きましょう」 二人で、新たな空の高みを目指して。 higher, take me higher―― |