Love walks slipped and gone without a sound
Gone without a word to say





 斉木にもう3日も会っていない。
 顔も見ていなければ、声すら聞いていない。
 それは自分で決めたことだったけれど。
 こんなに効くとは思っていなかった。
 自分の中に、こんなにも誰かが入り込んでくることなど、考えてみたこともなかった。

 こんな時に限って、サッカーさえ上手く行かない。
 神谷と芹沢のホットラインも、全く機能していない。
 何度かパスをあっさりインターセプトされて、そのうち神谷は芹沢にパスを出さなくなった。
 芹沢は舌打ちする。



 結局、何とか前半終了間際に1点をもぎ取った。
 芹沢が中盤近くまで下がってボールを自ら奪い、そのまま強引に持ち込んだ上でのゴールだった。
 ゴールが決まった瞬間、我慢を強いられていたサポーターの歓声が爆発する。
 腕を挙げ、ゴールを誇る芹沢の視界に、神谷の渋い表情が掠めた。



 ハーフでベンチに戻って来た瞬間、神谷が芹沢の胸倉を締め上げた。
「芹沢! お前、どう言うつもりだ!?」
「何ですか、いきなり」
 芹沢はわずかに眉をしかめて神谷の手を払う。
「何ですかじゃねえよ! 人の指示まるっきり無視しやがって! 見当違いのところをちょろちょろしてんじゃねえっ」
 だが、神谷は構わず怒鳴りつけた。監督さえもビビらせると噂の『闘将』の怒りは、思わず周囲の猛者共も首を竦めたほどだったが、芹沢は何事でもないかのように言い放った。
「ちゃんと1点取ったじゃないですか」
「ちゃんとやってりゃ、あんなムリする必要もなかったさ」
 すっと、神谷の目がすがめられる。
「何、イライラしてやがる」
「イライラなんかしてませんよ」
 図星を刺されて、語気が荒くなる。
「じゃあ、何で俺の指示を聞かない」
 まるで正比例するように、神谷の声が低くなる。
 いや、嵐の前の静けさか。
「指示? 聞かせてくださいよ。ぜひ」
 返す言葉に、神谷がもう一度胸倉をつかんだ。
 売り言葉に買い言葉。
 殴られるかと思ったが、神谷は芹沢の耳元で低く呟いただけだった。
「お前はお前の役割を果たせばいいんだ」
「俺の役割、何だって言うんですか」
「自分のやるべきこともわかんねーのか、お前は」
 今度は、神谷が自分から手を離した。
 そのまま、振り返る。
「監督、芹沢代えて下さい」
「な…っ」
「どうしてだ、神谷」
「このまま出してたら、絶対怪我します」
「何でそんなこと断言できるんですか!」
 監督が反論する前に、芹沢自身が激しく抗議する。
「さっき点を取った時だって、充分危なかったんだ。お前は点を取ることに夢中になってて気がつかなかったみたいだけどな。怪我しなかったのは、運がよかっただけだ。」
 だが、神谷は顔の筋一つ動かさない。長い前髪の奥で、底光りするように目が輝いている。
「お前はいつだってマークが厚いんだ。今の心ここにあらずって状態のお前じゃ、早かれ遅かれ怪我する」
 それから、神谷は監督に向き直って言った。
「とにかく1点は取りました。今こいつに怪我されたら、困るんでしょう」
「それはそうなんだが…」
「俺は行かないって…」
「お前が行こうが行くまいが俺には関係ねーけどな」
 神谷が芹沢の語尾をひったくる。
「チームとしてはいろいろあるでしょう。行こうが行くまいが、怪我をされたら困るのも確かなはずです」
 影響力が強いと言う自覚があるからこそ、神谷は普段はあまり意見を口にすることはない。
 やるべきことをやればいい。
 それが神谷の口癖だ。
 だから、これはかなり特別な場面だった。
 しかし監督は、何も言わない。
 確かに芹沢が怪我をしたら困る。
 神谷と並んで芹沢はえぐられることの多い選手だ。
 だが、逆にいえばそれはいつものことで。
 何故今日に限って、神谷がこんなことを言うのか、多分神谷以外には理解できていない。
 神谷から芹沢へのホットラインは、今日は確かに機能していないが、それもそれほど不思議なことではない。
 毎回毎回、そううまくいくはずはないのだ。
 だから、神谷以外の全員が、神谷の言葉の裏に隠れた意味の、半分も理解できていなかっただろう。
 いや、芹沢も除くべきか。
 だが芹沢も、全ては分からない。ただ、疑惑が心に生まれる。
 何故、こんなにも神谷が激しく主張するのだろう。
 イラついているのは確かだ。点を取ったときは、確かに無理をした。
 だが、それだけで分かるほど、表には感情を出していない自信があったのに。
 ――知っている?
 その可能性に、芹沢の眉が微かに上がる。
 だが、すぐに否定する。
 まさか、だ。神谷には、神谷にだけは知られる訳には行かなかった。
 そんなことは、芹沢にも分かる。
 斉木に釘を刺されるまでもない。
「監督」
 神谷が解答を迫る。
 だが。
「時間です!」
「芹沢は代えん」
「監督!」
 芹沢は、神谷と並ぶ人気者だ。怪我をされたら困るのは確かだが、そうそう下げるわけにも行かないのだ。
 まだ神谷一人の懸念に過ぎないのだから。
「と言うことですよ」
 芹沢は、神谷の肩を叩いて、にやりと笑って見せる。
「後半はいいパスお願いしますよ」
「…やるべきことを、ちゃんとやれ」
 すれ違いざま、神谷が呟く。もう一度、芹沢の眉が跳ね上がった。
「やってるでしょう」
「どうだかな」
「何が言いたいんです」
「せいぜい怪我をしないように気をつけろよ」
 芹沢が何か言うより早く、神谷はロッカールームを出て行った。



 その後半。
 芹沢は怪我をした。
 斜め後ろからのスライディング。
 反則すれすれ、と言うよりは反則だった。審判の目にちゃんと見えていれば。
 マリーシア、などと言うたいそうな言葉を使わなくても、ある意味で当然のプレーだった。
 GKと一対一で、追加点は確実の場面。
 いつもの芹沢なら、軽くかわしていただろう。
 だが、この日はまともに食らってしまった上に、スパイクが芝に引っかかってしまった。
 人より大きな体は、瞬間、とんでもない負荷を生じる。
 バランスを崩した芹沢の右足首に、全ての力が集中した。
 折れたかと思った。
 少なくとも、自分の足で歩いてはピッチを降りられなかった。
 タンカで運ばれる姿は、さぞやみっともなかっただろう。
 ――あの人に何て言われるか。
 チームドクターによる簡単な診察の後、ムリヤリ病院につれていかれた。
 本当の症名は長ったらしいが、一言で言えば捻挫である。
 骨も折れてないし、幸い、古傷の靭帯もいっていなかった。
 ただし、様子を見るために最低1週間の安静を言い渡された。
 サッカーなどもっての外だ。
 芹沢はチーム関係者に頭を下げて回るはめになった。
 マンションに戻れたのは、深夜もいいところだった。



I never really understand
I know I'm caught in a dream
You left me an empty room
Now I know what it means



 少しだけ、期待していた。
 だが、ただ暗い部屋が芹沢を迎え入れた。
 電気もつけずに、寝室へ直行する。
 そのまま、ベッドへ身を投げ出した。

 ほんの3日前まで、二人でいた部屋だ。
 だがそれは、芹沢の一方的な行動の結果に過ぎない。
 だから今、自分は一人だ。

 本当に、一人なのかもしれない。

 心細かった。
 そばにいて欲しかった。

 けれど、斉木はいない。
 芹沢は、ベッドの上で大きな体を丸めた。
 世界の全てに目を閉じて、眠りに落ちた。