Late at night I'm drinking my wine
Thinking of you
Catchin the blue
It hurts to miss you all of the time
Wish it wasn't so true





 元々、一人で寝るには、少し大きいベッドだった。
 買う時に、手足を伸ばしてぴったりのセミダブルか、更にゆとりのあるダブルか迷ったのだ。
 結局、ゆっくり出来るダブルベッドを芹沢は選んだ。
 あくまで、自分の為に。

 本当は。
 この部屋に誰かを連れ込む気など、更々なかった。
 元来好き勝手やってきた芹沢には、誰に気を使うことなく素でいられる時間が必要だったのだ。
 部屋の合鍵を渡すなんてとんでもない。
 自分だけの城。
 一人で気侭にしか生きて行けない人間なのだと、芹沢は思っていた。

 なのに、今。
 手足を伸ばせるゆとりを持て余している。
 一人ならゆっくりでも、二人では窮屈すぎるこのベッド。
 その窮屈ささえも歓びだった。
 この腕に、暖かい命を抱けるのなら。
 それはこの世に二つとないものだった。



 だがもう、自分は失ってしまったのかもしれない。
 目覚めは、最悪だった。



 昨夜は結局、ジャージを着たまま眠ってしまったようで、寝起きでむくんだ体のあちこちに、ジャージの跡が残っている。
 みっともないと思いつつ、ベッドから降りる気にもなれず、芹沢は寝転がったままでいた。
 とてもこのままでは人には会えない。
 しかし、昨夜医師に一週間の安静を言い渡されてしまった為、今日のクールダウンも自動的に休みになった。
 為に、芹沢は無気力の虫に虫食まれるままに、不毛な時間を過ごしていられたのだ。
 かなり早い内に、芹沢は一日不貞寝で潰すことを決意している。
 実際、心も体も、休息を必要としていたのだが。
 誰かと一緒に暮らすことなど、自分には無理な話だったのかも知れないと、ちらりと思う。

 だが、芹沢の決意は、あっさりと破られた。
 玄関のチャイムが鳴ったのだ。
 芹沢は、のろのろとベッドを降りる。捻挫のせいではなく、気が進まないせいだ。
 その顔は無表情であったが、むしろ機嫌の悪さを強く感じさせる。
 これで新聞の勧誘なんかだったら怒鳴りつけてやると心の中で呟きながら、インターフォンで応答する。
「どちら様…」
『ああ、芹沢。いたのか、よかった』
 その声に。
「今、開けますっ」
 芹沢は、慌てて玄関へ走り、ドアを開ける。思うままにならない右足がもどかしかった。
 ドアを開けると、買い物のビニール袋を下げた斉木が苦笑していた。
「お前、ホントに捻挫してんのか」
 仮病じゃないだろうな、と、軽口を叩く斉木を前にして、不覚にも目頭が熱くなる。
 寸前で、止めたが。
「来てくれるなんて、思ってませんでしたよ」
「ああ、携帯がつながんなかったから、そのまま来ちまったからな。もしかしたら邪魔か」
「とんでもないっ。何言ってんですかっ」
「なら、上がらせてくれよ。いつまでもこんなのぶら下げてんの、似合いすぎるからやなんだけど」
 と、斉木がビニール袋を掲げて見せる。
「あ、すみません」
 慌てて、芹沢は自分の体でふさいでいた通り道を開けた。
 室内に入った斉木は、迷わずキッチンに行き、冷蔵庫を開けた。
 買ってきた物をしまいながら、芹沢に声をかける。
「芹沢、もう朝飯食ったのか」
「いえ、まだですけど」
「じゃ、何か軽く作ろうか」
 俺もまだだから、と、斉木は返事を待たずに卵やベーコンやらを取り出す。芹沢がいらないと言えば、自分の分だけ作るつもりなのだろう。
「お願いします」
「そっか」
 じゃあ、座って待ってろ、と、斉木は穏やかな声で言った。
 芹沢はダイニングに座って、その背中を眩しいものでも見るように、目を細めて見る。
 芹沢が否やを言うはずがなかった。すでに食べていたとしても、絶対食べると言うのに決まっている。
 斉木が作ったものなら、例え黒焦げのトーストだろうが卵のなれの果てだろうが、何でもいいのだ。
 斉木の料理の腕は、男の手料理の範囲を出るものではないが、不味いものでもなかったのは幸いである。

 斉木が用意した朝食は、トーストとベーコン入りのスクランブルエッグとサラダ、それに斉木が道々買って来たヨーグルトがついた。
 コーヒーは芹沢が煎れる。沸いた湯さえ手元にあれば、座ったままでも煎れられる。
 だが理想的な朝食も、体の維持に相当のエネルギーを消費する二人にかかっては、ものの10分もかからず胃袋の中に消えてしまう。
 会話をしている時間もない。
 あっという間に空になった皿を、斉木が手元に集めて、キッチンに運ぶ。
 ヨーグルトの容器が残っていたので、芹沢も席を立って、キッチンに備え付けてあるごみ箱に捨てた。
 そのまま、斉木の背中を見ている。
 別に何をするでもない。
 まるで少し優しくしてくれた人間について行く捨て猫のようだと、芹沢は自嘲する。
 それでも、少しでもそばにいたかった。
「座ってろよ。そんなの後で捨てるのに」
 食器を洗い始めた斉木が声をかける。
「大丈夫ですよ、いくらなんでもこれぐらい」
「俺が痛いんだよ。そんな派手に包帯巻いてて。おとなしくしてろ」
 斉木は手を止めない。だから芹沢も、なるべく右足に負担をかけない姿勢を保ちながら、動こうとはしない。
 たわいのない会話が、やけにうれしかった。
「俺は肝を冷やしたぞ。お前、自力で立てなかったじゃないか」
「そんなひどいもんじゃなかったんですよ。ただ、怪我した瞬間は衝撃が大きかったんで、動けないほど痛んだんだろうって話です。まあ、このガタイですからね」
 芹沢は軽く肩を竦めた。
「本当か? 骨とか筋とか」
「問題ないって言われました」
「お前、たまにムリするから心配なんだよ」
「あんたに言われたかないですね」
「そうか? お前ほどじゃないと、最近思うぞ」
 斉木は、小さく笑って、それから、言った。
「大事な体だろう? 移籍…の話があるそうじゃないか。しかも海外」
 芹沢の体がびくりと跳ねた。
 大きな目を、更に大きく見開く。
 斉木は振り向かない。何事もなかったように、洗った食器を拭き始める。
 芹沢は、一度、口を開いてそのまま閉じた。
 しゃべろうとしたが、喉がからからに乾いていて、声が出なかったのだ。
 生唾を飲み込み、もう一度口を開いた。
「何で、知ってんですか、それを」
 転がり出た声は、自分でも驚くほど、どす黒かった。
「俺は話してないのに」
「昨日、加納がお前の容態知らないかって、電話かけてきて、俺、知らなかったから、何で加納がお前の怪我をわざわざ俺にまで聞くのか、分からなくてさ、で、聞いたんだ」
 斉木は一気にまくし立てた。
「お前に、海外移籍の話があるって」
 すでに斉木の手も止まっている。
「それで」
 芹沢は暗くて鋭い視線を投げる。
 その視線を感じているはずなのに、斉木は動かない。
「だから何だって言うんです」
 芹沢は切り口上を叩きつける。
「……正直、ショックだったよ。分かっていたのにな」
「何が…」
「いつかは、いやそう遠くないうちに、お前に海外移籍の話があるだろうってのは分かってた。だけどまさか、こんなに早いなんて、思ってなかったからな、聞いた時はショックだった。分かってたのに」
 芹沢は斉木との距離を詰める。
 逃げ道も、ふさぐ。
「それに、やっぱりお前の口から聞きたかったし、な…」
「だからあんたは、何が言いたいんですか」
「俺は、言ったろ。ショックだって」
「それだけなんですか、そんなはずないでしょ!? もっと何か言いたいことがあるからっ、わざわざ来たんじゃないんですか!」
 芹沢は叫んだ。
 ――道化だ。
 さっきまでの幸せな気分は何だったのだ。
 斉木がわざわざ自分の為に来てくれたのだと、信じて。
 天にも昇る気持ちで浮かれていた自分は。
 ただの愚か者だ。
 芹沢は唇を噛んだ。
「行く、のか?」
 斉木の声はどこまでも平静に聞こえる。
 芹沢自身の熱は、沸騰しすぎて逆に冷たく感じられる。
「行く」
 言った途端、斉木の肩が初めて揺れた。
「…って言ったら、あんたはどうするんです」
 芹沢は斉木に救いを求めた。
 切り口上にしかならない口調は、もうどうしようもない習い性だ。
 それでも、一言、たった一言言ってくれたら。
 『行くな』と。
 その一言をくれたら、何もかもを捨てられるかも知れないと、思うのに。
「俺、が? 何を言うって言うんだ」
 微かに笑ったような気配が伝わる。
「俺にはお前をどうこうする権利はないよ」
 斉木は、天を仰ぐ姿勢になった。
「お前がやりたいようにすればいい。お前の選ぶ道だ」
 芹沢の視界に、火花が散った。
 一気に距離を詰めて、芹沢は斉木の肩をつかんで自分に向き直させる。
「痛いだろ」
「俺の目を見ろよ」
「な…に」
「俺の目を見たまま、同じこと、言えんのかよ。言ってみろよっ」
 敬語を使うことも、芹沢は忘れていた。
 必死だった。
 芹沢が、斉木にとっていなくてもいいものなのだと、信じたくなかった。
 『特別』だと、思っていたのに。
 『特別』になれたのだと。
 芹沢にとって斉木が『特別』であるように。
 なのに。
「俺が海外なんか行っちまって、いいのかよ。行くって言っも、あんた何にも言わないのかよ」
「だって、しょうがないじゃないか。チャンスなんだろ…? チャンスなら、逃せないよな。誰だって。それに誰にでも転がってくるチャンスじゃない。つかむって決めたなら、行けよ。それがお前の道だ」
 斉木はむしろ穏やかな口調で、まるで芹沢をなだめるように言った。
 その表情も、静かだ。
 ――この人は、俺に何も求めていない。
 結局。
 本当は誰もこの人の特別にはなれないのだ。
 いや、もう特別はいるから?
 もう誰も、つけいる隙はないと言うのか?
「神谷さんがいるから…だから、ダメなのか?」
「芹沢? 何…」
「俺じゃ、ダメなのかよ。俺じゃ…神谷さんに勝てないのか!?」
「ちょっと、芹沢、落ちつけっ。お前、言ってることメチャクチャだぞ!?」
 芹沢は斉木の胸倉をつかんだ。
「何がメチャクチャなんだよっ。メチャクチャなのはあんただろ!」
「全部だっ。こらっ、離せよ」
 さすがに斉木も、芹沢の手を払おうとする。
 その抵抗に、更に芹沢が切れる。
「な、ちょっと、待て。落ちついて…」
 もう何も聞きたくなかった。
 芹沢は、唇で斉木の口をふさぐ。
 その瞬間、思いきり突き飛ばされた。
「やめろ!」
 すっかり忘れていたが、現実に踏ん張りの効かない右足が滑って、ダイニングのテーブルに腰をしたたかぶつけた上に、尻餅をついた。
「いった…」
「せ、芹沢!? 大丈夫…」
 ぶつけた腰も、痛みを忘れていた右足も、激しく痛みを訴える。
 そんな芹沢に、慌てて斉木が駆け寄ろうとするが、右足首を抱えたまま、芹沢が叫んだ。
「触んな!」
 斉木の動きがぴたりと止まる。
「もういいよ! 海外だってどこだって行ってやるよ!」
「芹沢?」
「出てけよ! もう顔も見たくない!!」
 斉木は、愕然とした。
 気温が一気に下がったようだった。
 我知らず、自分の肩を抱く。
 今、何を聞いた?
 けれど。
「出てけよ…早く、出てってよ…」
 痛かった。
 右足よりも、心が。
 けれど、足を抱えた芹沢には、斉木の表情は一つも見えていなかった。
 その気配も。
 かなりあからさまだったが。
 自分のことで精一杯で。

 斉木は黙って、ジーンズのポケットから、キーホルダーを取り出した。
 その中から一本を外して、テーブルの上に置く。
 そのまま、芹沢の脇を通り抜けて、玄関に向かう。
 その途中。
 立ち止まった。
 振り向いて、呟くように言った。
「…じゃあ、な」
 斉木が振り向いたのは、芹沢にも気配で分かった。
 だが、芹沢は顔を上げなかった。
 目は真っ赤だろうし、顔もグチャグチャだろうと思うから、上げられなかった。
 斉木はそれ以上のことは何も言わなかった。
 パタリ、と、遠くでドアが閉まる音が聞こえた。



I'm laying the blame on you
I know I'm telling me lies
You did everything you could do
I'm the one that's blind



 もしも。
 この時顔を上げていたら。
 芹沢が斉木の表情を見ていたら。



 全ては、変わっていたのかも知れない――。



Love walks slipped and gone without a sound
Gone without a word to say