11月






 「今日、優勝が決まったら、紙吹雪が解禁だってさ」
「撒いてもらおうじゃないの、掃除の人が怒るぐらい」
 ロッカールームからの続く狭い廊下に、軽口が響く。
 ホームでのこの試合にリーグ優勝がかかっていた。
 勝てば勿論だが、引き分けでもJ1昇格は決まる。
 もしも負けたとしても、対抗馬が負ければ昇格が決まるのだ。
 連勝を続けており、チーム状態はかなり良い。
 軽口も出て来ようものだ。
 しかし、フィールドで円陣を組んだ時、キャプテンマークをつけた芹沢が告げる。
「この試合、引き分けのことは忘れろ。負けなんてもっての他だ」
 厳しい視線でチームメイトの顔を見回すと、緩んでいた空気が引き締まった。
「ホームのこの試合、絶対勝ってJ1へ殴り込むぞ!」
 芹沢の檄におうと応えて、スタメンがフィールドに散らばっていく。
 そんな様子を見ていた斉木は、
「随分キャプテンが板についてきたじゃないか」
 呟いた声が我ながら寂しそうで、斉木は苦笑した。
 頭を一つ振って、久々の左サイドに向かおうとすると、芹沢が追いかけてきた。
「斉木さん」
「ん?」
 呼ばれて何気なく振り向くと、いやに真面目な顔をした芹沢が立っていた。
 これを、と言って、左腕に着けていたキャプテンマークを外して差し出して来る。
 そうして斉木は気づく。
 差し出されたキャプテンマークが、以前斉木が芹沢に渡した物であることに。
 自分が渡した物をずっと着けていてくれたのかと思うと嬉しかったが、今は斉木自身の感慨に捕らわれている場合ではない。
 斉木は、首を横に振った。
「それは、最後までピッチにいられない人間が着けるべき物じゃない」
 だが、芹沢は斉木の言葉をまるで聞いていないかのように言い募る。
「斉木さん、今日だけは最後までフィールドにいて下さい」
 斉木の膝が完治とは程遠いことを一番よく知っているはずだと言うのに、一体何の寝言を言っているのかと思わず斉木がねめつけると、芹沢は斉木でもほとんど見たことがないような真摯な眼差しを向けてくる。
 眩しいものでも見たように目をすがめながら、斉木は答えた。
「俺だって最後までいたいけどな。それはこのポンコツ次第だから」
 自分の左膝に視線を落とす。
 自分達にとって昇格がかかった試合であるということは、相手にとっては最悪J1への切符が1枚埋まってしまう試合なのだ。
 当然、昇格決定を阻止するためになりふり構わず襲いかかってくることだろう。
 その一番の標的は勿論、芹沢と斉木だ。
 しかし、スタジアムは今日優勝が決まることを信じて集まったサポーターで埋め尽くされている。
 ホームで満員のサポーターが詰め掛け、勝てば優勝。
 これだけ条件が揃っては、チームとしては絶対に昇格を決めなくてはならない、勝つべき試合だ。
 勝たなければならない重圧と。
 勝たせまいとする気迫と。
 さっきは軽口も出ていたが、一度ホイッスルが吹かれたら、もう後は修羅場だ。
 恐らく若い選手達はプレッシャーでいつもの半分の力も出せまい。
 だから斉木も、今日ばかりは痛み止めを打ってこの試合に臨んでいるが、それでも、最後までピッチに立っていられるかは分からない。
 一選手としても、芹沢に一点集中させないためにもなるべく長くピッチにいたいとは思うが、恐らくは無理だろう。
「それはお前が着けとけ。似合ってるぞ」
 言って、踵を返そうとする斉木の肩を、芹沢が掴んで止める。
「おい…」
 斉木に皆まで言わせず、芹沢が言う。
「俺は約束を守ります。斉木さんをJ1に連れて行く。今日、必ず」
 掴まれた肩が痛いほどの力が手にこもっていることに、芹沢は気がついているのかどうか。
「だから斉木さん、今日は最後までいて下さい。俺に約束を守らせて下さい」
 必死の形相で言い募る芹沢の手を、斉木はゆっくりと外した。
 そして、
「必ず今日決めるぞ。次は出られないからな」
 遠回しながらも芹沢の言葉に斉木は同意した。
 斉木は厳しい面持ちであったが、芹沢は破顔する。
「はい」
 芹沢にとって、斉木と共に決められないのであれば、例え優勝を決められたとしても一生悔いが残るだろう。
 だが、斉木は約束をけして破りはしない。
 そして芹沢も。
 芹沢が右手を差し出すと、斉木も応じた。
 ハイタッチを交わして、斉木は左サイドへ、芹沢はセンターサークルへと向かう。










 試合は予想通り、立ち上がりから押され気味の展開となる。
 斉木が左サイドに入っても、欠場中に採用された3-4-1-2のシステムが取られた。
 しかし、予想通り優勝がかかるプレッシャーのために全体的に動きが硬く、立ち上がりの主導権を相手チームに握られてしまう。
 あっという間にゴール前に詰められたが、運良く相手のシュートはバーに嫌われた。
 リスタートする前に、斉木は芹沢へ視線を走らせる。
 同じことを考えていたのだろう、芹沢は目が合うと即座にうなずいた。
 それを見て、斉木はボランチへポジションを下げる。
 同時に、芹沢もトップ下から中盤までポジションを下げた。
 流れは必ず変わる。
 ただ今日の状態では、そうそう点は取れないだろう。
 だから、流れが変わるまでの失点はどうしても避けなければならない。
 芹沢は中盤で守りながらFWへ指示を出し、前線からプレスをかけていく。
 斉木はボランチとして中盤の底を死守しながらDFラインをコントロールして、ギリギリのラインで失点を防ぐ。
 恐らくはどちらが欠けていても失点は免れ得なかっただろうと思われる、苦しい時間帯が続く。
 だが、やはりその時は来た。
 互いに譲らず0-0で迎えた後半10分過ぎ――。
「芹沢!」
 ボールを奪った斉木は、執拗なマークを振り切っていた芹沢へとパスを送る。
 と、同時に、斉木もポジションを上げる。
 その視界の中で、芹沢は持ち前の突破力で中盤を切り裂いていく。
 芹沢を全力で追いかけながら、斉木は左サイドのFWをポスト役に高い位置に待機させ、右サイドのFWを守備へと回す。
 最初から難しい試合になることは分かっていた。
 チャンスはもう二度と来ないかもしれない。
 このチャンスはけして逃せない。
 ペナルティエリアの寸前に迫った芹沢を止めようと、ファウルすれすれのスライディングを仕掛けられる。
 しかし、芹沢はそれを軽く跳んで避け、追いついてきていた斉木へ壁パスを送る。
 体勢を立て直してから、もう一度ボールを受け取ろうと斉木とアイコンタクト交わしたその瞬間、
「斉木さん、危ない!」
「うわっ」
 パスを出そうと芹沢に意識が向いたその時に、後ろから軸になっていた左足を引っかけられて、斉木がピッチに倒れた。
「斉木さん!」
 血相を変えて駆け寄って来る芹沢へ、斉木は落ち着けと言うように手を振って立ち上がる。
 ピッチに左足をついた瞬間、膝に違和感を覚えたが、そんなことはおくびにも出さないように注意しながら斉木は心の中だけで思う。
 ――芹沢との約束は守れそうもないな。
「足は、足は大丈夫ですか」
「お前なあ、俺の足が無事ならいいのか?」
 斉木はわざと明るくまぜっかえした。
「本当に大丈夫なんですね?」
 それでもまだ心配だと顔に書いて芹沢が尋ねて来るが、
「この距離なら直接狙えるな。俺はゴール前に詰めるから」
 と、斉木は芹沢の背中をぽんと叩いて、ゴール前へ移動する。
「頼んだぞ、魔術師」
 そう、言い残して。
 けして芹沢の問いには答えずに。





 ペナルティエリアの直前で、しかもキッカーが芹沢であれば、直接狙ってくることは、他のチームにとってほとんど鉄板である。
 それぐらい芹沢のフリーキックの精度は高い。
 相手の守備も勿論直接狙ってくることを前提に固められた。
 しかし、ニアに詰めていた斉木の存在は計算外だった。
 狙い済まして飛来したボールに斉木がわずかに触れて方向を変えると、そのままゴールネットに突き刺さる。
 待望の勝ち越し点が入った。
 サポーター席では大旗が何本も打ち振られ、まるで優勝が決まったかのような騒ぎだ。
 しかし、斉木と芹沢にはこのまま守りに入る気はなかった。
 ここで守りに入れば、躍起になって追いつこうとする相手にすぐに盛り返されることをよく知っているからだ。
 幸い、勝ち越し点が入ったことで、他のチームメイト達もプレッシャーから開放され、動きから硬さが取れ始めている。
 それを見て取って、斉木と芹沢はそれぞれ左サイドとトップ下にポジションを戻し、より攻撃的に仕掛けていく。













10月
11月後半







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